2011年06月29日

第76番 金倉寺


四国八十八カ所 第76番札所 金倉寺




鶏足山 宝幢院 金倉寺 (こんぞうじ)

〔所在地〕 香川県善通寺市金蔵寺町1160

〔宗派〕 天台寺門宗

〔開基〕 和気道善

〔本尊〕 薬師如来

〔真言〕 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

〔略縁起〕 この地域は、智証大師(円珍)の誕生の地である。 智証大師は、天台寺門宗の開祖で、弘法大師の姪の子。 開基は宝亀5年(774)、智証大師の祖父、和気道善が建立したとされる。 開創時は、道善寺といったが、延長6年(928)に醍醐天皇の勅命で、大師が入寂し、所在地の金倉郷の地名から金倉寺と改号した。 往時は隆盛を誇ったが、戦国期の戦火で伽藍はすべて焼失。 現在の本堂は昭和に入って、大師堂は元の本堂で、江戸期に再建された。
-『四国八十八カ所』から-



              本堂                           大師堂











     入山智証大師像          乃木将軍妻返し松             八幡社




          まことにも 神仏倉を 開くれば
                         真言加持の 不思議なりけり


  

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2011年06月25日

津軽国一宮 岩木山神社


北門鎮護 岩木山神社




津軽国一宮 岩木山神社 (いわきやまじんじゃ)    通称 お岩木さま・お山

〔鎮座地〕 青森県弘前市百沢字寺沢27

〔社格〕 旧国幣小社

〔御祭神〕 顯國魂神 (うつしくにたまのかみ)
       多都比姫神 (たつひひめのかみ)
       宇賀能賣神 (うがのめのかみ)
       大山祇神 (おおやまづみのかみ)
       坂上刈田麿命 (さかのうえのかりたまろのみこと)

〔由緒沿革〕  当社は昔から「お岩木さま」 「お山」と親しんで呼ばれ、陸奥津軽の開拓の神、農海産物の守護神、また祖霊の座すところとして崇められてまいりました。 神山・霊山である岩木山は津軽全土から仰望せられ、人々に慈しみの徳を授けたまい、郷土人の生活と心のよりどころであります。
 岩木山大神は太古より神霊岩木嶺にお鎮りになられ、今から約一二〇〇年前、宝亀十一年(七八〇)社殿を山頂に創建したのが当社の起こりであります。
  延暦十九年(八〇〇)征夷大将軍坂上田村麿これを再建し、別に山麓十腰内の里に下居宮を建立して、山頂を奥宮と称し、寛治五年(一〇九一)神宣により下居宮を現在地に奉遷いたしました。 その後、世々の地頭・領主何れもがよく崇敬の赤誠をつくし、江戸時代には津軽藩主為信・信牧・信義・信政により大造営が行なわれ、近代には崇敬者の熱意を集めて、建造物、諸施設とも整い、名実ともにその威容を誇り、畏き辺りも日本の北門鎮護の名社として、農業・漁業・商工業・医薬・交通関係、とりわけ開運福の神として、色々の宗派を越え、深い信仰の源として厚く崇敬されております。
  新しき時代に向かい、ご神徳のまにまに、日本人の心の絆としてひとしく拝し、ご神威ますます輝かしく仰ぎ奉られるのであります。   大國魂鎮守  旧國幣社
-岩木山神社パンフレットから-


◎ 国指定重要文化財
〔建造物〕  本殿  奥門  瑞垣  拝殿  中門  楼門
〔無形〕  お山参詣


       一之鳥居               二之鳥居              三之鳥居



楼門



           楼門の随神                        下り狛・上り狛









            拝殿と中門                          拝殿











             中門                             本殿











境内神社


〔左〕 末社・白雲神社
〔祭神〕 多都比姫神荒魂

〔右〕 末社・稲荷神社
〔祭神〕 宇賀能賣神荒魂



奥宮神賑祭 (お山参詣)  重要無形民俗文化財
 旧八月朔日、秋の稲穂の波打つ頃、五穀豊穣の感謝と祈願をこめ、山頂奥宮に村落毎に団体で登拝する古くからの行事です。 登拝に先立ち、各村々の産土神の社に一週間精進潔斎し、新しい白装束に身を固め、登拝回数に応じ色とりどりの御幣を持ち、別に大幟や大御幣を力自慢の若者が捧持して登山囃子も賑々しく唱和して街道を練歩き、総産土神の大社と称える岩木山神社に参拝します。 神域の禊所で再び身を清め、神前で修祓を受けて夜半に至り朔日山の朝日を拝すべく元気に奥宮に向い登山します。 その道程約六キロ七曲坂の難所、女人禁制時代の名残姥石、焼止りで中腹、浄水湧く錫杖清水、種蒔苗代の池で占いし、急な御坂を経て、四時間で奥宮に達します。 現今は登拝のためにスカイラインも開通しています。
-岩木山神社パンフレットから-



登山囃子唱文

懺悔懺悔  六根懺悔  御山八大 金剛道者  一々礼拝  南無帰命頂礼

さいぎさいぎ  どっこいさいぎ  おやまさやちだい  こんごうどうしゃ  いちになのはい  なむきんみょうちょうらい

下山囃子唱文

宵山かけた  朔日山かけた  笑  萬足萬足よ

よいやまかけた  ついたちやまかけた  あゝ  ばたらばたらばたらよ



  

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2011年06月23日

第75番 善通寺


四国八十八カ所 第75番札所 善通寺




五岳山 誕生院 善通寺 (ぜんつうじ)

〔所在地〕 香川県善通寺市善通寺町3-3-1

〔宗派〕 真言宗善通寺派総本山

〔開基〕 弘法大師

〔本尊〕 薬師如来

〔真言〕 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

〔略縁起〕 紀州の高野山、京都の東寺とともに大師三大霊跡の一つとされるこの寺は、大師誕生の地に、大師自らが建立した真言宗善通寺派の総本山。 宝暦5年(774)、6月15日、大師は現在の御影堂が建つ場所で誕生した。 父は佐伯善通、母は玉依御前。 この寺号は、父の名前からついている。 大同2年(807)、唐から帰った大師は、佐伯氏の菩提を弔うために伽藍を建立した。 金堂は、大師が唐で学んだ青龍寺を模している。
-『四国八十八カ所』から-


東院 (伽藍)

 東院は、お大師さまが自ら建立された、もともとの「善通寺」です。大同2年(807)臘月(陰暦12月)朔日、斧始めをなして、尾背山より木材を運び、諸堂の建立が始まり、弘仁4年(813)善通寺伽藍諸堂が落慶しました。この時建立された堂塔は、金堂、大塔、講堂、法花堂などの15宇でありまして、お大師さまが密教を学んだ、唐の長安・青龍寺の伽藍を模して建立されたと伝えられています。 しかしながら、永禄元年(1558)の兵火によって、その時までの約750年現存していた創建当初の伽藍諸堂は全焼してしまいました。 その後、戦国時代が終わり、生駒家、京極家といった讃岐の大名をはじめとした、朝野にわたる援助により再建が進み、現代に至ります。
-善通寺公式サイトから-


金堂 (本堂)


金堂 (本堂)   善通寺の本堂。 創建時の金堂は、永禄元年(1558)、三好実休の兵火によって焼失し、現在の建物は、元禄年間(1688-1704)に再建されたものです。本尊・薬師如来坐像は、像高3メートルに及ぶ丈六の巨像で、元禄13年(1700)、御室大仏師運長法橋によって造像されました。


五重塔
 総高45メートルに及ぶ総欅造の大塔で、善通寺のシンボルとして、広く人々に親しまれています。 創建以来、台風や火災により、いくたびかの倒壊・焼失を経ましたが、そのたびに再建されました。 現在の塔は、弘化2年(1845)、仁孝天皇の御綸旨により再建が始められ、明治35年(1902)に完成したものです。




常行堂 (釈迦堂)
 釈迦如来を安置することから「釈迦堂」とも云います。 現在の建物は延宝年間建立の御影堂でしたが、天保年間の御影堂改築にあたり現在の場所へ移転されたものです。





佐伯祖廟
 お大師さまの父君善通公「佐伯明神」と母君玉依御前「玉依明神」をお祀りしています。





五社明神
 雲気大明神、大歳大明神、大麻大明神、広浜大明神、蕪津大明神の五社明神を二宇相殿にお祀りしています。 この五社は元の善通寺領の氏神で、寺領安穏を祈るため、勧請せられ祀られています。




西院 (御誕生院)

 西院には、もともと、お大師さまの出自の佐伯家の邸宅がありました。東院の「善通寺」創建の時には、父君善通公も母君玉寄御前も佐伯家の方々は、この邸宅にお住まいになっていたのです。その後、善通公の一族は京都に住まわれることになり、後の世において、その跡地に御影堂を中心とした「誕生院」が整備されました。御影堂奥殿のある場所は、その佐伯家邸宅のありし時は母君のお部屋のあった場所と伝わっており、まさしく今奥殿の建つこの場所こそが、お大師さま御誕生の聖地なのであります。
-善通寺公式サイトから-



御影堂 (大師堂)


御影堂 (大師堂)   弘法大師が御誕生された佐伯家の邸宅地に建ち、奥殿には大師自作と伝わる本尊・瞬目大師像が秘蔵されています。 誕生院は、建長元年(1249)、行蓮上人によって創建されました。 現在の建物は、天保2年(1831)に建立され、昭和11年に修築されたものです。 また御影堂の地下には、約100メートルの「戒壇めぐり」があり、暗闇の中、宝号を唱えながら大師と結縁する道場となっています。



護摩堂
 不動明王をおまつりするお堂で、また、不動明王へ祈りを捧げるための護摩を修する道場です。 毎月28日のお不動さまの縁日には、ここで護摩祈祷を行っています。





聖霊殿
 昭和15年に戦没英霊の遺骨奉安のための「忠霊堂(ちゅうれいどう)」として建てられました。





親鸞堂
 浄土真宗の開祖、親鸞聖人の御尊像を安置しているお堂です。 この尊像は「鎌田の御影」とも云い、聖人は、その師・法然上人が詣でられ逆修供養塔も建てられた善通寺に詣りたいという願いを果たせず、その願望を込め御自作されたものと伝わっています。




仁王門
 西院の正門。 門の外側左右には金剛力士像が立ち、内側には大草履が奉安されています。 この仁王門にかかる門前の石橋は、昔は毎月20日にのみ通行できたということから「廿日橋(はつかばし)」といいます。





          我住まば よも消えはてじ 善通寺
                            深き誓いの 法のともしび


  

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2011年06月21日

第74番 甲山寺


四国八十八カ所 第74番札所 甲山寺




医王山 多宝院 甲山寺 (こうやまじ)

〔所在地〕 香川県善通寺市弘田町1765-1

〔宗派〕 真言宗善通寺派

〔開基〕 弘法大師

〔本尊〕 薬師如来

〔真言〕 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

〔略縁起〕 甲山寺の10kmほど先にある満濃池は人工のため池。 弘仁12年(821)、大師は嵯峨天皇から、決壊した満濃池お修築を命じられ。 土木技術にたけた大師と、大師を慕う里人の努力が実を結び、奇跡的にも難工事はたった3カ月で完成する。 天皇はこの成功をたたえ、大師に報奨金を与えた。 大師はそれを資金として堂宇を建立し、四国霊場と定めたという。 寺号は、この寺のある甲山が毘沙門天の甲冑に似ていることからつけられた。
-『四国八十八カ所』から-



              本堂                        毘沙門天の岩窟











        大師堂                 山門               淡島大明神




           十二神 味方に持てる 戦には
                              おのれと心 甲山かな


  

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2011年06月17日

第73番 出釈迦寺


四国八十八カ所 第73番札所 出釈迦寺




我拝師山 求聞持院 出釈迦寺 (しゅっしゃかじ)

〔所在地〕 香川県善通寺市吉原町1091

〔宗派〕 真言宗御室派

〔開基〕 弘法大師

〔本尊〕 釈迦如来

〔真言〕 のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

〔略縁起〕 我拝師山(標高481m)山麓の寺。 大師は幼少のころ、八葉蓮華の中にすわって諸仏と語らう夢をよく見たという。 7歳のとき、この山の断崖の上から「仏門に入って衆生を救おうという私の願いが成就するならば、釈迦如来よ、どうぞお姿をおあらわしください」と唱えて、谷底目がけて身を投げた。 すると、天女が天くだりし、幼い大師を抱き止めたという。 のちに大師は、この感激新たにして一堂を建立し、四国霊場と定めた。
-『四国八十八カ所』から-



              本堂                           大師堂












求聞持大師像
求聞持大師の由来
 当山は弘法大師七歳の捨身誓願の霊場であるとともに大師は四国八十八ケ所御開創の砌り再度当地に巡錫、虚空蔵求聞持の法を修行されました。 故に当山院号を求聞持院と号します。 この求聞持の法とは虚空蔵菩薩の御真言を一百萬遍お唱えする法でそのご修行のお姿が当山求聞持大師です。
-出釈迦寺案内板から-




捨身ケ嶽遙拝所




奥の院 捨身ヶ嶽禅定 (しゃしんがだけぜんじょう)
 弘法大師(幼名 真魚)七才の時救世の大誓願を立て、五岳の随一たる当山に登り三世の諸仏十方の薩埵に念じ「我、仏法に入りて一切の衆生を済度せんと欲す。 吾願成就するものならば釈迦牟尼世尊影現して證明与え給へ成就せざるものならば一命を捨てて此身を諸仏に供養し奉る」と唱え断崖絶壁の頂より白雲も迷う谷底に身を躍らし飛び給いし紫雲の湧き起せらる中に大光明を放って釈迦牟尼仏百宝の蓮華に座しご出現せられ羽衣を身に纏うた天女天降り大師を抱き止め「一生成仏」と、宣り給ふ。 この神秘不可思議なる仏陀の霊光に感謝し霊験を永久に記念し、世の人々に仏縁を結ばしめんが為に捨身ケ嶽に寺を建立し、ご本尊釈迦牟尼仏を安置せられ捨身誓願の霊場として多くの善男善女の信仰の中心となっている霊山です。
                      捨身ヶ嶽出釈迦寺
-出釈迦寺案内板から-



           迷ひぬる 六道衆生 救わんと
                           尊き山に 出づる釈迦寺


  

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2011年06月15日

第72番 曼荼羅寺


四国八十八カ所 第72番札所 曼荼羅寺




我拝師山 延命院 曼荼羅寺 (まんだらじ)

〔所在地〕 香川県善通寺市吉原町1380-1

〔宗派〕 真言宗善通寺派

〔開基〕 弘法大師

〔本尊〕 大日如来

〔真言〕 おん あびらうんけん ばざら だとばん

〔略縁起〕 この寺のある善通寺市は、大師出生の地。 開基は古く、推古天皇4年(596)、大師の祖先である佐伯氏の氏寺として建てられた。 当時は世坂寺といった。 のちの大同2年(807)、唐から帰国した大師は、金剛界、胎蔵界の2つの曼荼羅を安置、大日如来を刻んで寺を再興し、寺号も曼荼羅寺と改め霊場に定めた。 大師お手植えとされる不老松は、平成14年枯死したが、跡地には、その幹に彫られた笠松大師が安置されている。
-『四国八十八カ所』から-



              本堂                           護摩堂












    西行法師の昼寝石       曼荼羅寺の鎮守・八幡宮    「不老松」跡地の笠松大師




        わずかにも 曼荼羅おがむ 人はただ
                            ふたゝび三たび 帰らざらまし


  

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2011年06月10日

第71番 弥谷寺


四国八十八カ所 第71番札所 弥谷寺




剣五山 千手院  弥谷寺 (いやだにじ)

〔所在地〕 香川県三豊市三野町大見乙70

〔宗派〕 真言宗善通寺派

〔開基〕 行基菩薩

〔本尊〕 千手観世音菩薩

〔真言〕 おん ばざら たらま きりく

〔略縁起〕 弥谷寺は、死霊が帰る「仏の山」として昔から信仰が篤い。 天平の昔、聖武天皇の勅願により行基が開創。 弥谷山の山頂から、中国、四国地方の8国が眺望できたことから、蓮華山八国寺と名づけられた。 大師は7歳のとき、この山で修行している。 のちに唐から帰った大師が、当山で真言密教の修法を行うと、空から5柄の銅剣が降ってきたという。 そこで山号を剣五山に変え、周辺に谷が多いことから、寺号も弥谷寺に改め、四国霊場に定めた。
-『四国八十八カ所』から-



              本堂                           大師堂












磨崖仏


県指定史跡   磨崖佛   昭和四十三年六月指定   弥谷寺

  三尊像は南面する約十二米の岸壁に陽刻されて居り、中央の阿弥陀如来は約一米、左右の観音、勢至両菩薩共に約九十糎、全体によく整って温和な表情をたたえている。 この像の左右岩肌には南無阿弥陀佛と陰刻された、六字の名号九行あり、これに関連して上方本堂付近の岸壁には無数の納骨穴が彫られている。 この納骨穴に対する回向の為、下方の阿弥陀三尊及び六字の名号が刻まれたものと思われる。
  従ってこれらは平安から鎌倉にかけてのものではないかと言われて居り、或いは大師の作かともいわれている。
-境内案内板から-



境内から眺める讃岐の山河




         悪人と 行き連れなんも 弥谷寺
                           只かりそめも 良き友ぞよき


  

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2011年06月08日

第70番 本山寺


四国八十八カ所 第70番札所 本山寺




七宝山 持宝院  本山寺 (もとやまじ)

〔所在地〕 香川県三豊市豊中町本山甲1445

〔宗派〕 高野山真言宗

〔開基〕 弘法大師

〔本尊〕 馬頭観世音菩薩

〔真言〕 おん あみりと どはんば うん ぱった そわか

〔略縁起〕 大同2年(807)、平城天皇の勅願により、大師が一夜という短期間のうちに本堂を建てて開創した。 また、本山寺のシンボル五重塔は、寺伝によると大同年間(806~810)に建立。 戦国期の兵火はのがれたが、破損はなはだしいため、下の一重のみを残して撤去し、いまの五重塔は明治43年に再建された。 本尊は、大師一刀三礼の作と伝わる馬頭観世音菩薩。 馬頭観世音菩薩を本尊とするのは、四国霊場中ここだけ。
-『四国八十八カ所』から-



           国宝の本堂                          大師堂










本山寺本堂 (国宝)
 寺伝によると、弘法大師の一夜建立といわれているが、現在の本堂は、一二九一年(正応四年鎌倉時代末)に佐々木氏信の寄進を得て、一三〇〇年(正安二年鎌倉時代末)心導上人の代に建て替えられたものである。
 古文書などは、一八五四年(嘉永七年江戸時代末)の火災にあって現存しないが、本堂の棟札や礎石の墨書などからみても、鎌倉末期に建立されたものであることは明らかである。 大正十三年特別保護建造物に指定され、昭和二十七年鎌倉建築として復元工事を行い昭和三十年国宝に指定された。
  昭和五十九年三月    香川県
-境内案内板から-



仁王門 (国指定重要文化財)


仁王門 (国指定重要文化財)
  室町時代中期建立の三間一戸八脚門。切妻造、本瓦葺。主柱、前後の控柱ともに円柱とする。
  建築様式は和様を基調とするが、柱の下部に礎盤を設ける点など細部に禅宗様を取り入れている。




〔左〕 五重塔
  (三豊市指定有形文化財)
 古塔が明治43年(1910)まで存在していたが取り壊され、大正2年(1913)に現在の位置に再建された。
〔右〕 十王堂



         本山に 誰か植えける 花なれや
                        春こそ手折れ 手向けにぞなる


  

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2011年06月06日

第69番 観音寺


四国八十八カ所 第69番札所 観音寺




七宝山  観音寺 (かんのんじ)

〔所在地〕 香川県観音寺市八幡町1-2-7

〔宗派〕 真言宗大覚寺派

〔本尊〕 聖観世音菩薩

〔開基〕 日証上人

〔真言〕 おん あろりきゃ そわか

〔略縁起〕 神恵院と同じく、大宝年間(701~704)、日証上人により、琴弾八幡宮の神宮寺として開創。 神恵院の境内をおりればすぐに観音寺の境内に着く。 大同年間(806~810)に唐から帰国した大師が、この寺の第7代住職となり、南都興福寺にならって七堂伽藍を建立し、寺号を観音寺と改めて四国霊場と定めた。 貴重な文化財が多く、室町初期に建立された本堂は国の重要文化財。 また宝物館では、多くの仏教美術の秀作が堪能できる。
-『四国八十八カ所』から-


              本堂                           大師堂













〔左〕 薬師堂

〔右〕 山門
神恵院と共通の山門(仁王門)




          観音の 大悲の力 強ければ
                          重き罪をも 引き上げてたべ


  

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2011年06月05日

第68番 神恵院


四国八十八カ所 第68番札所 神恵院




七宝山  神恵院 (じんねいん)

〔所在地〕 香川県観音寺市八幡町1-2-7

〔宗派〕 真言宗大覚寺派

〔開基〕 日証上人

〔本尊〕 阿弥陀如来

〔真言〕 おん ありみた ていぜい からうん

〔略縁起〕 琴弾山の中腹に建つ第六十八番札所神恵院と第六十九番札所観音寺は、一つの境内の中に二つの札所があるという珍しい構え。 神恵院はもともと琴弾山の60m上にある琴弾八幡宮の別当寺で、明治初期の神仏分離令で神社と分離した。 その際、本尊が観音寺の西金堂に移され、札所も同時に移って一境内に2札所となった。 琴弾八幡宮は大宝3年(703)、 日証上人が山中での修行中に宇佐八幡大明神の声を聞き、社殿を建立したのが始まり。
-『四国八十八カ所』から-



              本堂                           大師堂













境内裏の展望台から見る琴弾公園の銭形砂絵




          笛の音も 松吹く風も 琴弾くも
                            歌うも舞うも 法のこえごえ


  

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2011年06月04日

第67番 大興寺


四国八十八カ所 第67番札所 大興寺




小松尾山 不動光院 大興寺 (だいこうじ)

〔所在地〕 香川県三豊市山本町辻4209

〔宗派〕 真言宗善通寺派

〔本尊〕 薬師如来

〔開基〕 弘法大師

〔真言〕 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

〔略縁起〕 地元で「小松尾さん」と呼ばれるこの寺は、かつて真言、天台両宗で共同管理されていた珍しい寺。 そのため、いまでも境内には、本堂向かって左に弘法大師堂、右に天台大師堂がある。 大師堂が2つあるのは四国霊場中ここだけ。 開創は弘仁13年(822)。 嵯峨天皇の勅願により大師が熊野三所権現鎮護の霊場として開いた。 その後、戦国期の兵火で焼失するも、慶長年間(1596~1615)には再建されている。
-『四国八十八カ所』から-



              本堂                            大師堂












      天台大師堂           大師お手植えの楠         大師お手植えのカヤ




         植えおきし 小松尾寺を 眺むれば
                            法の教えの 風ぞ吹きぬる


  

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2011年06月02日

海上釣堀 辨屋


雨の日にはシラサエビ


6月1日  雨  (大潮)
三重県度会郡南伊勢町礫浦
海上釣堀  辨屋






一日中雨降りだった。

使い古した雨合羽とゴム長はその機能を果たさず、全身びしょ濡れ。

こんな悪いコンディションの中でも、釣果はまずまず。

救ってくれたのはシラサエビ。

天気の悪い日にはシラサは当たらない! これ釣り堀界の常識? 

誰が言ったのか、これはデマである!

雨の日、閑人は積極的にシラサエビを使う。  意外にもよく当たるからだ。

前回(2月18日)の悪天候釣行にもシラサが大活躍。

雨の日にはシラサエビ!  今回はこれを証明できたような気がする。







〔閑人の釣果〕 15
マダイ 12 (シラサ 9  甘エビ 2  ダンゴ 1)
シマアジ 2 (シラサ)
イシダイ 1 (シラサ)



  

Posted by 閑人 at 22:11Comments(0)TrackBack(0)釣行記