2011年07月09日

第81番 白峯寺


四国八十八カ所 第81番札所 白峯寺




綾松山 洞林院 白峯寺 (しろみねじ)

〔所在地〕 香川県坂出市青海町2635

〔宗派〕 真言宗御室派

〔開基〕 弘法大師・智証大師(円珍)

〔本尊〕 干手観世音菩薩

〔真言〕 おん ばざら たらま きりく

〔略縁起〕 79番・天皇寺の項でも触れたように、香川は崇徳上皇が流刑された地。 ここ白峯寺もまた崇徳上皇とゆかりがある札所だ。 弘仁6年(815)に弘法大師が白峯山の山頂に如意宝珠を埋め、人々の救済を祈願して開いたという。 その後、智証大師が山に入り、白峯大権現のお告げで霊木に本尊を彫ったと伝えられる。
 保元の乱(1156)の後、この地に流刑された崇徳上皇は、白峯寺のそばにある「白峯御陵」で荼毘に付されている。 また、後鳥羽上皇は崇徳上皇の霊を祀る御廟として法華堂を建立している。 これが白峯寺境内にある頓証寺殿だ。 境内に立つ「玉章の木」にも崇徳上皇の悲しい逸話がある。 都をしのんで 「啼けばきく きけば都の恋しさに この里過ぎよ山ほととぎす」 と詠んだところ、玉章の木で鳴いていたホトトギスが葉をくちばしに巻き、声を出さないようにしたという。
-『ドライブお遍路』から-



              本堂                           大師堂











       阿弥陀堂                薬師堂             五社稲荷大明神




崇徳天皇御廟所  頓証寺殿 (とんしょうじでん)




崇徳天皇御廟所・四国第八十一番霊場
(別格本山) 綾松山 白峯寺 略縁起

 保元元年(一一五六)保元の乱に因り、第七五代崇徳天皇当国に御配流、山麓林田郷綾高遠の館(雲井御所)に三ヶ年、のち府中鼓ヶ岡木丸殿(木丸殿御所)に移り六ヶ年、都合九年間配所の日々を過ごされて、長寛二年(一一六四)旧八月廿六日崩御遊ばされ、御遺詔によって当山稚児嶽上(御陵のあるところ)に荼毘し、御陵が営まれた。
 然るに霊威甚だしく峻厳にして奇瑞帝都に耀いたので、御代々の聖主、公卿、武将も恐れ崇め奉り、御府荘園を寄せて御菩提を弔い、十二時不断の読経三昧等当山に綸旨、院宣を下され、或は法楽、詩歌、種々の霊器宝物を奉納して御慰霊の誠を尽され、特に第百代の後小松帝は、御廟に「頓証寺」の御追号勅額奉掲して、尊崇の意を表された。
 また仁安元年神無月の頃、歌聖西行は四国修行の途次、御廟に参詣し、一夜法施読経し奉ると御廟震動して崇徳院現前して一首の御製を詠ぜられた。
即ち、
         松山や  浪に流れて  こし船の  やがて空しく  なりにけるかな
西行涙を流して御返歌に
         よしや君  昔の玉の  床とても  かゝらん後は  何にかはせむ
と詠じ奉ると御納受下されたのか度々鳴動したと云う。
-白峯寺境内案内板から抜粋-




           霜さむく 露白妙の 寺のうち
                          御名を称うる 法の声々


  

Posted by 閑人 at 14:40Comments(0)TrackBack(0)四国八十八ヶ所