2011年07月15日

第84番 屋島寺


四国八十八カ所 第84番札所 屋島寺




南面山 千光院 屋島寺 (やしまじ)

〔所在地〕 香川県高松市屋島東町1808

〔宗派〕 真言宗御室派

〔開基〕 鑑真和上

〔本尊〕 十一面千手観世音菩薩

〔真言〕 おん ばざら たらま きりく

〔略縁起〕 源平合戦の古戦場跡であり、香川県でも有数の景勝地である屋島。 標高293mの山頂にある屋島寺へのドライブは爽快で、参拝の楽しみのひとつだ。 寺を開いたのは律宗の開祖鑑真和上。 屋島の北嶺を聖地と感じて御堂を建てたという。 のちに和上の弟子恵雲律師が初代住職となって「屋島寺」と名づけた。 弘仁6年(815)にここを訪れた弘法大師は、伽藍を北嶺から南嶺(現在地)へ移し、本尊を祀って四国霊場に定めている。 以後、戦乱のなかで衰退しながらも、国主や藩主の援助で再興し、往時の面影を伝えている。 境内には現代的なデザインの宝物館があり、数々の寺宝をはじめ本尊の十一面千手観世音菩薩(国の重要文化財)も拝観できる。 本堂横のかわいいタヌキの像は「蓑山(みのやま)大明神」。 四国狸の総大将・太三郎狸と呼ばれる氏神で、子宝や縁結び、家庭円満の御利益で人気だ。
-『ドライブお遍路』から-



              本堂                           大師堂











        仁王門               四天王門                東大門



蓑山大明神


蓑山大明神之由来   屋島太三郎狸
 その昔、弘法大師さんが四国八十八ヶ所開創のみぎり、霧深い屋島で道に迷われ蓑笠を着た老人に山上まで案内されたと言う。 のちにその老人こそ太三郎狸の変化術の姿であったと信じられております。
 屋島の太三郎狸は佐度の団三郎狸、淡路の芝右衛門狸と共に日本三名狸に称されています。 太三郎狸は屋島寺本尊十一面千手観音の御申狸(おんもうしだぬき)又数多くの善行をつんだため、土地の地主の神として本堂の横に大切に祭られ、四国狸の総大将とあがめられ、その化け方の高尚さと変化妙技は日本一であった。
 尚屋島太三郎狸は一夫一婦の契も固く家庭円満、縁結び、水商売の神、特に子宝に恵まれない方に子宝を授け福運をもたらす狸として全国よりの信者が多い。
-境内案内板から-



源平屋島合戦  弓流し図屏風 (部分)


源平屋島合戦  弓流し図屏風
 本図は「平家物語」第十一巻に記された源平の屋島合戦中、もっとも有名なエピソードのひとつである「弓流」に題材をとっている。
 勝ちにのっていた源氏勢は、船に逃げた平家の軍兵たちを追って、馬の太腹が水につかるほどに海中に乗り入れて攻め戦っていた。 そんな中で、義経はどうしたことか、自分の弓を平家勢の熊手にかけられて落としてしまう。 周りの臣下たちが「弓よりも、お命の方が大切です。お捨てなさい。」と口々に言うが、義経は何とかむちで弓をかき寄せて、拾うのに成功した。 このことで、あとで家臣たちになじられた義経は「弓が惜しくて拾ったのではない。もし私の弓が二、三人でなければ張れないほどの強弓であったなら、わざとでも落とすのだが、私のひ弱な弓を敵が取って、『これこそ源氏の大将九郎義経が弓よ』といって、ばかにするのが残念だから、命がけで取るのだよ」と語り、すべての人がその心意気に感心した。
-屋島寺案内板から-




           梓弓 屋島の寺に 詣でつつ
                         祈りをかけて 勇むもののふ


  

Posted by 閑人 at 16:14Comments(1)TrackBack(0)四国八十八ヶ所