2011年07月28日

伊賀国一宮 敢國神社


伊賀国一宮 敢國神社




伊賀国一宮 敢國神社 (あえくにじんじゃ)

〔鎮座地〕 三重県伊賀市一之宮877

〔社格〕 旧官幣中社 伊賀国阿拝郡の式内社・敢国神社(大)

〔御祭神〕 〔主神〕 大彦命 (おおひこのみこと)
       〔配神〕 少彦名命 (すくなひこなのみこと)
       〔配神〕 金山比咩命 (かなやまひめのみこと)

〔御由緒〕 大彦命は第八代孝元天皇の嫡男の御子で、第十代崇神天皇の御代に四道将軍のおひとりとして北陸地方の平定を任され、平定後、伊賀國を本貫の地として留まられ、その地が阿拝(あえ)郡であったことから、阿拝氏・阿部氏・安部氏の姓を名乗るようになり、伊賀の国中に子孫がひろがっていき栄え、この地に国府が置かれた。
 社伝によると神社の創建は六五八年とあり、当初は大彦命と少彦名命が祭神とされており、後九七七年神社前方の南宮山に鎮まる金山比咩命が合祀された。 南北朝時代には、後村上天皇が当社に行幸され、五日間参篭後御祈願されたことが園太暦に記載されている。
 江戸時代は藤堂高虎が伊賀へ入府後、伊賀上野城から、丑寅鬼門の方角にあたるところから「鬼門鎮守厄除」の神社として累代の庇護を受けた。 伊賀が生誕地である松尾芭蕉も当社を参拝し「手鼻かむ音さえ梅の匂ひかな」の句を詠んでいる。
-『全国一の宮めぐり』から-



              拝殿                            本殿












      摂社・六所社              摂社・九所社            末社・大石社



       末社・神明社        末社・市杵島姫社(弁天社)      末社・子さずけの神



       末社・楠社              末社・結社            末社・若宮八幡宮



摂末社の御祭神については大石社以外は案内がなかったので、『式内社調査報告』第六巻で調べてみた。

〔摂社 二社〕
六所社   伊弉諾尊・伊弉册尊・日神・月神・蛭児神・素盞嗚尊。
九所社   不詳。
〔末社 八社〕
大石社   須佐之男命・金山比古命・大日孁貴命・大山祇命・大物主命。
若宮八幡宮   仁徳天皇。
結社   高皇産霊尊・手間天神。
小観社(子さずけの神のことか?)   不詳。
神明社   天照大御神。
市杵島姫社   市杵島姫命。
楠社   楠正成・藤堂元甫。
浅間社(境外南宮山山上)   木華開耶姫命。



桃太郎岩
 古伝によりこの桃太郎岩は今を去る五百五十年前南宮山頂(前方に聳える山)からお遷し申し上げ、安産及び子授けの守護の霊岩として全国各地より信仰をあつめて居ります。
-境内案内板から-




芭蕉句碑
  手ばなかむ おとさへ梅の にほひかな
                                   ばせを
 元禄元年(一六八八)芭蕉四十五歳の作。 季語「梅」で春。 『笈の小文』の旅で伊賀上野に帰郷中の芭蕉が、梅の咲く頃の爽やかな山里の趣を詠んだ句で、『卯辰集』(北枝編)に収められている。 土芳の『蕉翁句集草稿』には、「伊賀の山家に有りて」の前書があり、下五を「さかり哉」とする。 「手鼻かむ音」は、紙を使わず手で鼻をかむしぐさ。 この語などは、和歌の観念では生かされそうにない素材であるが、芭蕉は和歌・連歌で詠み残した世界を広く俳諧の世界に生かし新境地としている。 この句も高雅で伝統的歌題である「梅」の情趣に、いかにも卑俗な「手鼻かむ音」を配して、寒さの残る山里の野趣を表現しているところは、和歌の伝統には見られない俳味である。
 句意は、「早春のこととて、梅の花が今盛りを迎えている。 その匂いの中に立っていると、傍らでふと手鼻かむ音がした。 そんなはしたない音さえも、田舎らしい趣が感じられてくる。」
-境内案内板から-



敢國神社の北方約1㎞の佐那具町に御祭神大彦命の御陵墓と伝えられる御墓山古墳がある。


国史跡 御墓山古墳


国史跡  御墓山古墳 (みはかやまこふん)

 御墓山古墳は、5世紀前半に築造された前方後円墳で、三重県内で最大規模を誇る墳墓で、大正10年(1921年)に、国史跡に指定されています。
 墳丘は2段に造られていますが、前方部裾から下方に葺石を伴う段築があり、見かけは3段に造られたようになっていて、実際より大きく見せる効果があったと考えられます。
 さらに、後円部から北西方向に張り出すような形で造り出しが設けられていることから、御墓山古墳は佐那具の街並みに正面を向けて造られていることがわかります。
 後円部上には盗掘抗が見られ、副葬品の出土は知られていませんが、円筒形や家の形を模したものなど、本墳出土とされる埴輪の破片が多く残されています。 (伊賀市教育委員会保管)
 孝元天皇の皇子で四道将軍の一人である大彦命の陵墓であると伝えられています。

  ◆御墓山古墳◆
  所在地 伊賀市佐那具町字天王下
  規模  全体の長さ 約180m
       後円部 径 約100m   高さ 約14m
       前方部 幅 約80m    高さ 約10m
    平成18年3月   佐那具町自治会  府中地区住民自治協議会
-国史跡・御墓山古墳案内板から-



  

Posted by 閑人 at 22:45Comments(0)TrackBack(0)神社巡詣