2011年06月23日

第75番 善通寺


四国八十八カ所 第75番札所 善通寺




五岳山 誕生院 善通寺 (ぜんつうじ)

〔所在地〕 香川県善通寺市善通寺町3-3-1

〔宗派〕 真言宗善通寺派総本山

〔開基〕 弘法大師

〔本尊〕 薬師如来

〔真言〕 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

〔略縁起〕 紀州の高野山、京都の東寺とともに大師三大霊跡の一つとされるこの寺は、大師誕生の地に、大師自らが建立した真言宗善通寺派の総本山。 宝暦5年(774)、6月15日、大師は現在の御影堂が建つ場所で誕生した。 父は佐伯善通、母は玉依御前。 この寺号は、父の名前からついている。 大同2年(807)、唐から帰った大師は、佐伯氏の菩提を弔うために伽藍を建立した。 金堂は、大師が唐で学んだ青龍寺を模している。
-『四国八十八カ所』から-


東院 (伽藍)

 東院は、お大師さまが自ら建立された、もともとの「善通寺」です。大同2年(807)臘月(陰暦12月)朔日、斧始めをなして、尾背山より木材を運び、諸堂の建立が始まり、弘仁4年(813)善通寺伽藍諸堂が落慶しました。この時建立された堂塔は、金堂、大塔、講堂、法花堂などの15宇でありまして、お大師さまが密教を学んだ、唐の長安・青龍寺の伽藍を模して建立されたと伝えられています。 しかしながら、永禄元年(1558)の兵火によって、その時までの約750年現存していた創建当初の伽藍諸堂は全焼してしまいました。 その後、戦国時代が終わり、生駒家、京極家といった讃岐の大名をはじめとした、朝野にわたる援助により再建が進み、現代に至ります。
-善通寺公式サイトから-


金堂 (本堂)


金堂 (本堂)   善通寺の本堂。 創建時の金堂は、永禄元年(1558)、三好実休の兵火によって焼失し、現在の建物は、元禄年間(1688-1704)に再建されたものです。本尊・薬師如来坐像は、像高3メートルに及ぶ丈六の巨像で、元禄13年(1700)、御室大仏師運長法橋によって造像されました。


五重塔
 総高45メートルに及ぶ総欅造の大塔で、善通寺のシンボルとして、広く人々に親しまれています。 創建以来、台風や火災により、いくたびかの倒壊・焼失を経ましたが、そのたびに再建されました。 現在の塔は、弘化2年(1845)、仁孝天皇の御綸旨により再建が始められ、明治35年(1902)に完成したものです。




常行堂 (釈迦堂)
 釈迦如来を安置することから「釈迦堂」とも云います。 現在の建物は延宝年間建立の御影堂でしたが、天保年間の御影堂改築にあたり現在の場所へ移転されたものです。





佐伯祖廟
 お大師さまの父君善通公「佐伯明神」と母君玉依御前「玉依明神」をお祀りしています。





五社明神
 雲気大明神、大歳大明神、大麻大明神、広浜大明神、蕪津大明神の五社明神を二宇相殿にお祀りしています。 この五社は元の善通寺領の氏神で、寺領安穏を祈るため、勧請せられ祀られています。




西院 (御誕生院)

 西院には、もともと、お大師さまの出自の佐伯家の邸宅がありました。東院の「善通寺」創建の時には、父君善通公も母君玉寄御前も佐伯家の方々は、この邸宅にお住まいになっていたのです。その後、善通公の一族は京都に住まわれることになり、後の世において、その跡地に御影堂を中心とした「誕生院」が整備されました。御影堂奥殿のある場所は、その佐伯家邸宅のありし時は母君のお部屋のあった場所と伝わっており、まさしく今奥殿の建つこの場所こそが、お大師さま御誕生の聖地なのであります。
-善通寺公式サイトから-



御影堂 (大師堂)


御影堂 (大師堂)   弘法大師が御誕生された佐伯家の邸宅地に建ち、奥殿には大師自作と伝わる本尊・瞬目大師像が秘蔵されています。 誕生院は、建長元年(1249)、行蓮上人によって創建されました。 現在の建物は、天保2年(1831)に建立され、昭和11年に修築されたものです。 また御影堂の地下には、約100メートルの「戒壇めぐり」があり、暗闇の中、宝号を唱えながら大師と結縁する道場となっています。



護摩堂
 不動明王をおまつりするお堂で、また、不動明王へ祈りを捧げるための護摩を修する道場です。 毎月28日のお不動さまの縁日には、ここで護摩祈祷を行っています。





聖霊殿
 昭和15年に戦没英霊の遺骨奉安のための「忠霊堂(ちゅうれいどう)」として建てられました。





親鸞堂
 浄土真宗の開祖、親鸞聖人の御尊像を安置しているお堂です。 この尊像は「鎌田の御影」とも云い、聖人は、その師・法然上人が詣でられ逆修供養塔も建てられた善通寺に詣りたいという願いを果たせず、その願望を込め御自作されたものと伝わっています。




仁王門
 西院の正門。 門の外側左右には金剛力士像が立ち、内側には大草履が奉安されています。 この仁王門にかかる門前の石橋は、昔は毎月20日にのみ通行できたということから「廿日橋(はつかばし)」といいます。





          我住まば よも消えはてじ 善通寺
                            深き誓いの 法のともしび




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