2011年08月20日

第86番 志度寺


四国八十八カ所 第86番札所 志度寺




補陀洛山 清浄光院 志度寺 (しどじ)

〔所在地〕 香川県さぬき市志度1102

〔宗派〕 真言宗善通寺派

〔開基〕 藤原不比等・凡薗子(おおしそのこ・智法尼)

〔本尊〕 十一面観世音菩薩

〔真言〕 おん まか きゃろにきゃ そわか

〔略縁起〕 志度港にほど近い静かな街並みに佇む志度寺。 その歴史は讃岐香川の札所ではもっとも古く、飛鳥時代に凡薗子(おおしのそのこ)という尼僧が建てた小さな御堂にさかのぼる。 その後、天武10年(681)に藤原不比等(藤原鎌足の子)が亡き妻の墓をここに建て、御堂を広げて「死渡道場」という修行道場をつくった。 死渡とは「志度の海辺は極楽浄土へ続いている」という信仰にもとづくもの。 また、海女だった妻が不比等の宝珠を竜神から取り返した伝説「海女の玉取り」は、のちに浄瑠璃や謡曲のモチーフになっている。 その不比等の子・房前が母を弔って諸堂を再興し、名を「志度寺」に改めた。 その後は室町時代に領主・細川氏の帰依をうけるなどして栄え、細川勝元が寄進した「曲水庭園」は今も境内にある(書院)。 そのほか本堂や仁王門が国の重要文化財に指定されるなど、境内には見どころが多い。
-『ドライブお遍路』から-



              本堂                           大師堂











         山門                 閻魔堂               奪衣婆堂



海女の墓五輪塔群


謡曲「海士」と海士の墓
 謡曲「海士」は、海士の珠取り伝説と女人成仏を主軸にした母性愛物語である。
 藤原房前は生母が志度浦の海士である事を聞き、追慕の情にたえず此の地を訪れた。
 出会った海士から「奪われた面向不背の玉を竜宮から取り返したならば、生まれた子を世継にするとのひたむきな約束のもとに海底に潜り、宝珠を取り返して命を失った。自分は房前大臣の母の幽霊である」と、我が生誕に関する珠取りの話を聞く。我が子房前の追善の経に引かれ、成仏した海士は竜女の姿で現れ喜びの早舞を舞い、孝養をたたえる。
 藤原不比等(淡海公)の子房前大臣は、僧行基と共に本堂を再建し、千基の石塔や法華経を納めた経塚を建立して供養を営み、また海士の縁として此の地を玉の浦と呼んだという。
 孝養の深さを慕ばせる海士の墓である。
    謡曲史跡保存会
-志度寺案内板から-



         いざさらば 今宵はここに 志度の寺
                          祈りの声を 耳に触れつつ




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