2012年04月11日
第16番 清水寺
西国三十三ヶ所 第16番札所 清水寺
音羽山 (おとわさん) 清水寺 (きよみずでら)
〔所在地〕 (山城國) 京都府京都市東山区清水1-294
〔宗派〕 北法相宗 (大本山)
〔開基〕 延鎮上人 (えんちんしょうにん)
〔創建〕 宝亀9年 (778)
〔御本尊〕 十一面千手千眼観世音菩薩
〔御真言〕 おん ばざら たらま きりく
〔略縁起〕 音羽山清水寺は宝亀9年(778)、大和の子島寺の賢心(後の延鎮上人)によって開創された。 『清水寺縁起』によると、賢心は「木津川の北流に清泉を求めて行け」という霊夢をうけ、翌朝、霊夢にしたがい清泉をもとめて上がると、音羽山麓にある滝にたどり着き、そのほとりで草庵をむすび永年練行をしている行叡居士(ぎょうえいこじ)と出会った。
行叡居士は賢心に霊木を授け、千手観音像を奉刻し観音霊地を護持するよう遺命を託すや否や、姿を消してしまった。 「行叡居士は観音の化身である」と悟った賢心は、以後固く遺命を守り、千手観音を刻んで草庵と観音霊地の山を守っていた。
2年後の宝亀11年(780)、坂上田村麻呂公が妻室三善高子命婦の安産のため音羽山に上り、草庵にたどり着き賢心と出会った。 坂上田村麻呂公は賢心に鹿狩りに上山した旨を話すと、観音霊地での殺生を戒められ、観世音菩薩の教えを諭された。
深く感銘を受けた坂上田村麻呂公は、この賢心が説かれた清滝の霊験、観世音菩薩の功徳を妻室に語り聴かせ、共々深く仏法に帰依され、仏殿(本堂)を寄進建立し、御本尊十一面千手観音を安置して寺観をととのえた。
御本尊(秘仏)は、「清水型観音」といわれる四十二臂の最上の両手を頭上にあげて化仏をいただく清水寺独特の観音像をしており、格別霊験あらたかで、『枕草子』や能(謠曲)「熊野」「田村」「盛久」などにも見え、昔からたいそう広く篤い崇信を集めてきた。
現在の伽藍は、徳川三代将軍家光により寛永10年(1633)に再建されたもので、平成6年(1994)にユネスコの世界文化遺産に登録された。
清水の舞台 (国宝) 田村堂 (重文)
西門と三重塔 (重文) 善光寺堂(洛陽十番札所) 随求堂(ずいぐどう)
地主神社 (重文) 音羽の瀧 阿弖流為・母禮の碑
御本尊 (秘仏) 千手観音立像
一般的な千手観音像と違い、その像容は非常に特徴的で42臂のうち左右の2臂を高々と掲げて頭上で掌を合わせ、そこに化仏(阿弥陀如来)を戴く。 この瑞像の特異な姿も全国に伝播し、各地に作例が残っている。 これを「清水型千手観音」と呼び、観音像の1ジャンルを形成している。
左脇侍に毘沙門天像、右脇侍に将軍地蔵菩薩像とするところも特徴的であるが、これは坂上田村麻呂が蝦夷征伐に際して奉じたからという。
御本尊は、本堂最奥部内々陣の厨子内に秘仏として祀られ、厨子前に御本尊の姿を写した御前立仏を安置している。
御開帳は、御本尊が三十三身して衆生を救うという「観音経」の教えに因んで、33年毎に行われる。
納経帳
〔御墨書〕 「奉拝」
「大悲閣」
「清水寺」
〔御朱印〕 「西國十六番」
宝珠の中に千手観音の種子 「キリク」
「清水寺本堂印」
千手観音の種子 「キリク」
松風や 音羽の滝の 清水を
むすぶ心は 涼しかるらん
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