2012年04月16日
第17番 六波羅蜜寺
西国三十三ヶ所 第17番札所 六波羅蜜寺
補陀洛山 (ふだらくさん) 六波羅蜜寺 (ろくはらみつじ)
〔所在地〕 (山城國) 京都府京都市東山区松原通大和大路東入ル2丁目轆轤町81-1
〔宗派〕 真言宗智山派
〔開基〕 空也上人
〔創建〕 天暦5年 (951)
〔御本尊〕 十一面観世音菩薩
〔御真言〕 おん ろけい じんばら きりく そわか
〔略縁起〕 天暦5年(951)、醍醐天皇の第二皇子空也上人により開創された。 当時京都に流行した悪疫退散のため、上人自ら十一面観音像を刻み、仏像を車に安置して市中を曵き回り、「皇服茶」を病者に授けた。 歓喜踊躍しつつ念仏を唱えてついに病魔を鎮められたという。 一堂を建ててその尊像を安置したのが当寺の起こりである。
上人没後、高弟の中信上人によりその規模増大し、荘厳華麗な天台別院として栄えた。 源平時代には、平忠盛が当寺内の塔頭に軍勢を止めてより、清盛・重盛に至り、広大な境域内には権勢を誇る平家一門の邸館が栄え、その数5200余りに及んだ。 寿永2年(1183)平家没落の時兵火を受け、本堂のみを残して焼失。 源頼朝、足利義詮による再興修復をはじめ火災に遭うたびに修復され、豊臣秀吉もまた大仏建立の際、本堂を補修し現在の向拝を附設、寺領70石を安堵した。 徳川代々将軍も朱印を加えられた。
現本堂は貞治2年(1363)の修営であり、明治以降荒廃していたが、昭和44年(1969)開創1000年を記念して解体修理が行われ、丹の色も鮮やかに絢爛と当時の姿をしのばせている。
本堂 弁財天堂
平清盛供養塔 縁結び観音像 阿古屋塚
御本尊 (秘仏) 十一面観音立像 -国宝-
木造 像高 258.0cm 平安時代 (951)
10世紀の彫刻は近年学界で注目されている分野だが、そのなかでも傑出した出来映えをしめす名品である。 衣文などには天平彫刻の影響もうかがえるが、藤原期の和様の仏像への橋渡しとなる像のひとつである。 大きな像だがバランスもよく、一流の仏師の手になることもうたがいない。
12年に一度、辰年だけに開扉される秘仏であるため、造立当初の姿をよく留めている。
本年は辰年、仏像ファンにとっては33札所中でももっとも期待したいご開帳のひとつである。
◎ 辰年御本尊御開帳 (平成24年11月3日~12月5日)
納経帳
〔御墨書〕 「奉拝」「六波羅堂」
「執事」
〔御朱印〕 「西國十七番」
蓮華宝珠の中に十一面観音の種子 「キャ」(異体字)
「六波羅堂」
※ 寺名には「執事」の墨書。 執事とは一般に寺務を執りしきる者を指す。
納経の管理が執事長の元に行われるということであろう。
明治初期の納経帳にはこの墨書は見当たらないという。
いつ頃から使われているのもなのであろうか。
十一面観音の種子 「キャ」(異体字)
重くとも 五つの罪は よもあらじ
六波羅堂へ 参る身なれば
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