2012年05月04日

第20番 善峯寺


西国三十三ヶ所 第20番札所 善峯寺




西山 (にしやま)   善峯寺 (よしみねでら)

〔所在地〕 (山城國) 京都府京都市西京区大原野小塩町1372

〔宗派〕 天台宗単立

〔開基〕 源算上人 (げんざんしょうにん)

〔創建〕 長元2年 (1029)

〔御本尊〕 千手観世音菩薩

〔御真言〕 おん ばさら だるま きりく

〔略縁起〕  長元2年(1029)、比叡山の恵心僧都の高弟である源算上人の開山。 源算上人47歳の時、この地に小堂を結び、十一面千手観音の像を刻み本尊となし、仏法を興隆された。
 以来歴朝の御崇敬篤く、長元7年(1034)、後一条天皇より鎮護国家の勅願所と定められ、「良峯寺」の寺号及び聖詠を賜った。 長久3年(1042)、後朱雀天皇、洛東鷲尾寺より仁弘法師作の十一面千手観音像を当山に遷して本尊とし、先の十一面千手観音像を脇立とされた。 白河天皇は諸堂を建立し、その後慈鎮和尚善恵上人、その高徳を相嗣がれ、また青蓮院の宮が代々当山に住まわれ、西山の宮(門跡)と称された。
 建久3年(1192)、後鳥羽上皇から「善峯寺」の寺額を賜って寺名が改められた。 後花園天皇は伽藍を改築せられ、往時は50余りの堂宇を有する隆盛を誇ったが、応仁の乱の兵火で焼失。
 現在ある堂塔の多くは、江戸時代に徳川五代将軍綱吉の母桂昌院(けいしょういん)により再建されたもので、二百石及び山林42万5千坪を寺領とし明治に至った。


           観音堂 (本堂)                     山門 (仁王門)












   遊龍の松(天然記念物)      多宝塔(重要文化財)      つりがね堂(厄除けの鐘)





 御本尊 (秘仏)    千手観音立像
   木造   像高 178.8cm   平安時代後期~鎌倉時代初期
 脇の本尊        千手観音立像
   木造   像高 174.5cm   平安時代 (11世紀前半)
 洛東の鷲尾寺から遷したという本尊は、19番札所・革堂の本尊と同じ賀茂神社の霊木で造られたという伝承がある。 木造、彫眼、漆箔仕上げ。 穏やかな像容は当代一流の仏師の手になるものであろう。
 一方、源算上人自刻像と伝わる「脇の本尊」はヒノキ材の一木を前後に割矧(わりはぎ)しており、善峯寺の開創と同時期、11世紀前半の像と思われる。



納経帳

  〔御墨書〕   「奉拝」
           「大悲殿」
           「よし峯寺」

  〔御朱印〕   「西國二十番」
     蓮華宝珠の中に千手観音の種子 「キリク」
           「善峰寺印」





千手観音の種子 「キリク」




        野をもすぎ  山路にむかふ  雨の空
                            善峯よりも  晴るる夕立




この記事へのトラックバックURL

http://manyuuki.mediacat-blog.jp/t78436