2012年05月22日

第23番 勝尾寺


西国三十三ヶ所 第23番札所 勝尾寺




応頂山 (おうちょうざん)  勝尾寺 (かつおうじ)

〔所在地〕 (摂津國) 大阪府箕面市勝尾寺

〔宗派〕 真言宗高野山派

〔開基〕 開成皇子

〔創建〕 神亀4年 (727)

〔御本尊〕 十一面千手観世音菩薩

〔御真言〕 おん ばざら たらま きりく

〔略縁起〕  和銅元年(708)、摂津国司・藤原致房のもとに生まれた双子の善仲(ぜんちゅう)・善算(ぜんさん)は山林修行に憧れ、神亀4年(727)、この地に草庵を結んだ。 修行を積むこと37年後の天平神護元年(765)、光仁天皇の皇子・開成(かいじょう)(桓武天皇の異母兄)が平城京を逃れてやって来た。 開成は仙人のような善仲・善算に師事して出家。 善仲・善算が取り組んでいた『大般若経』600巻の書写を引き継ぎ、宝亀6年(775)に完成させた。 そして経巻を埋蔵し、御堂を建てて、『弥勒寺』と号した。 開成が入寂する前年の宝亀11年(780)、妙観と名のる仏師が18人の童子と共に現れ、白檀の木に8尺の十一面千手観音像を彫り上げ、忽然と姿を消した。 妙観は人びとから観音の化身と信じられている。
 寺名の由来は、六代座主の行巡上人が清和天皇の病気平癒を祈って効験があったことから、「王に勝った寺」の意で「勝王寺」の寺号を賜るが、あまりにも畏れ多いと「王」を「尾」にひかえ、『勝尾寺』と改めたという。
 これにより、勝運の寺として、清和天皇の流れをくむ源頼朝や足利氏から寄進を受けて、中世には広大な寺領を有する大寺院に発展した。 勝運祈願は現在も続き、商売、試験、スポーツ等、勝運を願う参拝者が絶えず、境内には勝運成就した「勝ダルマ」が、所狭しと奉納されている。


              本堂                            山門











        不動堂               三宝荒神堂               鐘楼



        大師堂               弁財天社              一願不動堂






   御本尊 (秘仏)  十一面千手観音像

 木造  像高 147.0cm   平安時代
平安時代初期、唐の影響によって栴檀などの香木で造った観音像が流行したが、日本では香木が入手困難であった。 勝尾寺の秘仏十一面千手観音像の料材である白檀香木は、日向の国から開成の弟子・興日によって運ばれたもので、平安時代初期彫刻に共通するボリューム感のある、素地仕上げの檀像である。





納経帳

 〔御墨書〕   「奉拝」
          「大悲殿」
          「勝尾寺」

 〔御朱印〕   「西國第廿三番」
    蓮華宝珠の中に千手観音の種子 「キリク」
          「應頂山勝尾寺」





千手観音の種子 「キリク」




         重くとも  罪には法の  勝尾寺
                       ほとけを頼む  身こそやすけれ




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