2012年05月25日
第24番 中山寺
西国三十三ヶ所 第24番札所 中山寺
紫雲山 (しうんざん) 中山寺 (なかやまでら)
〔所在地〕 (摂津國) 兵庫県宝塚市中山寺2-11-1
〔宗派〕 真言宗中山寺派 (大本山)
〔開基〕 聖徳太子
〔創建〕 推古天皇時代 (593~628)
〔御本尊〕 十一面観世音菩薩
〔御真言〕 おん まか きゃろにきゃ そわか
〔略縁起〕 中山寺の起源は聖徳太子が建立した日本最初の観音霊場で、創建は推古朝(593~628)に遡る。 一説には、太子は仲哀天皇の后・大仲姫と非業の死を遂げた二人の皇子(香坂王・忍熊王)と、仏教移入に反対したために討伐した物部守屋の霊を祀るためにこの霊場を建立したともいわれる。 境内には大仲姫の墓と伝えられる古墳の石室「石の唐櫃(からと)」がある。
中山寺は安産祈願の霊場として信仰され、幕末には中山一位局が明治天皇を出産する時に、安産の腹帯「鐘の緒」を授かって御平産されたことから、日本唯一の「明治天皇勅願所」となり、全国的に有名になった。
御本尊十一面観音菩薩立像はインドの王妃シュリーマーラー(勝鬘夫人)が女人済度の悲願を込めて自らの等身像を彫った三国伝来の瑞像と伝えられ、その伝説どおりに異国的な雰囲気があふれる尊像である。
西国巡礼にまつわる伝説によれば、養老2年(718)、徳道上人は閻魔大王から授かった宝印を巡礼の旅の途中、この中山寺に埋めたという。 およそ200年の後、花山法皇がその宝印を掘り出して西国巡礼を再興したとされる。 この伝説から、中山寺は札所寺院のなかでも特別な存在であり、かつては中山寺を一番札所とする回りかたもあったという。
本堂 山門
閻魔堂 石の唐櫃(からと) 大願塔
御本尊 十一面観音立像 -重文-
木造 像高 151.3cm 平安時代
一見して特異な、エキゾチックな雰囲気を持つ十一面観音像。 カヤの一木造で彩色をほどこさない檀像で、干割れをふせぐために背刳(せぐり)をほどこし、瞳には鉄製の鋲を嵌めこんでいる。 平安初期に隆盛したいわゆる檀像彫刻に属するが、手足が異常に長く、彫りも深く、ほかに類例を見ない不思議な魅力にあふれた像である。
寺伝ではこの御本尊はインドの王妃シュリーマーラー(勝鬘夫人)が女人済度の悲願を込めて自らの等身像を彫った三国伝来の瑞像と伝えられ、その伝説どおりに異国的な雰囲気があふれる尊像である。
納経帳
〔御墨書〕 「奉拝」
「大悲殿」
「中山寺」
〔御朱印〕 「西國第廿四番」
蓮華宝珠の中に十一面観音の種子 「キャ」
「中山寺印」
十一面観音の種子 「キャ」
野をもすぎ 里をもゆきて 中山の
寺へ参るは 後の世のため
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