2012年05月29日

番外札所 花山院


西国三十三ヶ所 番外札所 花山院




東光山 (とうこうざん)  花山院 (かざんいん)  菩提寺 (ぼだいじ)

〔所在地〕 (摂津國) 兵庫県三田市尼寺352

〔宗派〕 真言宗花山院派 (本山)

〔開基〕 法道仙人 (ほうどうせんにん)

〔創建〕 白雉2年 (651)

〔御本尊〕 薬師瑠璃光如来 (薬師堂)
       十一面観世音菩薩 (花山法皇殿)

〔御真言〕 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか  (薬師瑠璃光如来)
       おん まか きゃろにきゃ そわか  (十一面観世音菩薩)

〔略縁起〕 花山院菩提寺の開基は、天竺(インド)より紫雲に乗り渡来したという法道仙人である。 法道仙人は役行者と並ぶ法力を持ったとされる伝説的な僧で、白雉2年(651)に薬師瑠璃光如来を安置して密教修行の聖地としたと伝えられている。
 「花山院菩提寺」とは、西国霊場中興の祖と仰がれる花山法皇の功績を讃えて名づけられたもの。 藤原氏の策略により、元慶寺(花山寺)において出家した花山法皇が西国三十三ヶ所観音霊場を再興された後、この山に登り景観に感銘されて余生を送る地に定め、寛弘5年(1008)に41歳で崩御されるまで、この寺で隠棲生活を送ったといわれる。
 その後、源頼光が堂塔伽藍を建立し寺院としての様相を整えた。 以降、花山法皇を西国霊場中興の祖と仰ぎ、各霊場の中でも法皇ゆかりの別格の存在で番外札所となった。 かつては花山院を最初に参詣してから西国巡礼の旅に出発したともいわれている。


            花山法皇殿                     瑠璃光殿 (薬師堂)












      山門 (仁王門)          花山院御廟所           花山院宝篋印塔



       三宝荒神堂            幸福の七地蔵               鐘楼




         御影   花山法皇
 平安時代中期の第65代天皇。 安和元年(968)~ 寛弘5年(1008)。 冷泉天皇の第一皇子。 母は、摂政太政大臣藤原伊尹の娘・女御懐子。 三条天皇の異母兄。
 安和2年(969)、叔父円融天皇の即位と共に生後10ヶ月で皇太子になり、永観2年(984)、同帝の譲位を受けて17歳で即位した。 2年後、藤原兼家・道兼父子の策略により、元慶寺(花山寺)において剃髪して仏門に入り退位した。
 出家し法皇となった後には、奈良時代初期に徳道上人が観音霊場三十三ヶ所の宝印を石棺に納めたという伝承があった摂津国の中山寺でこの宝印を探し出し、紀伊国熊野から宝印の三十三観音霊場を巡礼し修行に勤めたという。
 この花山法皇の観音巡礼が西国三十三箇所巡礼として現在でも継承されており、各霊場で詠んだ御製の和歌が御詠歌となっている。この巡礼の後、晩年は巡礼途中に気に入った場所である摂津国の東光山で隠棲生活を送ったとされる。 退位後の御在所に因んで「花山院」と呼ばれた。




納経帳

 〔御墨書〕   「奉拝」
          「花山法皇殿」
          「菩提寺」
 〔御朱印〕   「西國中興之開山」
    蓮華宝珠の中、中央上に薬師如来の種子「バイ」
              右下に三宝荒神の種子「ウーン」
              左下に十一面観世音の種子「キャ」
          「花山院菩提寺」





御宝印
   蓮華火焔宝珠の中に、三尊の梵字種子
   中央に御本尊「薬師瑠璃光如来」の種子 「バイ」
   右下に花山院菩提寺の鎮守「三宝荒神」の種子 「ウーン」
   左下に花山法皇が帰依された「十一面観世音」の種子 「キャ」





       十一面観音「キャ」       薬師如来「バイ」       三宝荒神「ウーン」





境内から望む有馬富士




       有馬富士  ふもとの霧は  海に似て
                          波かときけば  小野の松風




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