2012年07月12日

第32番 観音正寺


西国三十三ヶ所 第32番札所 観音正寺




繖山 (きぬがさやま)   観音正寺 (かんのんしょうじ)

〔所在地〕 (近江國) 滋賀県蒲生郡安土町石寺2

〔宗派〕 繖宗 (単立)

〔開基〕 聖徳太子

〔創建〕 推古天皇13年 (605)

〔御本尊〕 千手千眼観世音菩薩

〔御真言〕 おん ばざら たらま きりく

〔略縁起〕 寺伝によると、往古、聖徳太子がこの地に来臨された折、紫雲たなびくこのお山をご覧になって「これぞ霊山なり」とおぼしめし、太子自らが千手観音像を刻み、堂塔を建立されたのが、当寺の縁起であるという。 以来、太子が近江国に創建された十二箇寺中の随一の寺院として、湖東地方に勢威を振るってきた。
 応仁・文明の乱に際し、近江国守護職・佐々木六角氏がこの山に居城を築いたため、寺は兵乱に罹ったり、山麓に移されたりするなど苦難の路を辿ることとなった。 その後、永禄11年(1568)、織田信長により六角氏が滅ぼされたため、寺は衰退した。 慶長二年(1597)、再び山上に堂塔が営まれることとなったが、往時をしのぶべくもなかった。
 明治15年(1882)、荒廃した本堂に替えて、彦根城の「欅御殿」を移築したが、平成5年、原因不明の火災で本堂は全焼し、重要文化財の本尊千手観音立像も灰燼に帰した。 この困難を乗り越えて11年後の平成16年、本堂の落慶法要と本尊の開眼供養が営まれた。 古寺に生まれた平成の観音像は、観音信仰が過去から現在そして未来へと受け継がれていく証しなのだろう。


              本堂                        石積みと観音立像











        護摩堂               弁財天堂               太子堂



      白蛇大明神              北向地蔵尊               鐘楼






       御本尊    千手観音坐像

 明応6年(1497)に造像された重文の旧本尊千手観音立像は、平成5年(1993)に惜しくも焼失。
 新しい本尊は千手千眼観音菩薩坐像で、丈六(約5メートル)の白檀像という希有なもの。 現住職の多大な努力とインド政府の特別な計らいで23トンもの多量の白檀が輸入できたという。
 平成16年(2004)に本堂の落慶法要と本尊の開眼供養が営まれた。





                 納経帳

 〔御墨書〕   「奉拝」
          「大悲殿」
          「観音正寺」

 〔御朱印〕   「西國三十二番」
   蓮華宝珠の中に千手観音の種子「キリク」
          「観音正寺」




千手観音の種子 「キリク」




          あなとうと  導きたまえ  観音寺
                            遠き国より  運ぶ歩みを



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