2012年07月29日

下総国一宮 香取神宮


下総国一宮  香取神宮


                           石鳥居と総門



下総国一宮  香取神宮 (かとりじんぐう)

〔鎮座地〕 千葉県香取市香取1697

〔社格〕 勅祭社  旧官幣大社  下総国香取郡の式内社・香取神宮 (名神大・月次新嘗)

〔御祭神〕 経津主大神 (ふつぬしのおおかみ)   又の御名 伊波比主命(いはひぬしのみこと)

〔相殿神〕 武甕槌命 (たけみかづちのみこと)
       比賣神 (ひめかみ)
       天兒屋根命 (あめのこやねのみこと)

〔御由緒〕 当社は神武天皇十八年の創建と伝える。 大神は天照大御神の御神意を奉じて、出雲国の大国主命と円満裡に国土を皇孫に捧げ奉らしめ、更に国内を御幸して荒振る神々を平定され、日本建国の基を築かれた。 また東国開拓の大事業を完遂せられ、平和国家の建設と民生の安定福祉に偉大なる御神威を顕された。
 古くから国家鎮護の神として皇室からの御崇敬篤く、特に「神宮」の御称号(明治以前には伊勢・香取・鹿島のみ)を以て奉祀されており、名神大社、下総国一の宮であり、明治以後の社格制では官幣大社に列し、昭和十七年には勅祭社に治定せられて今日に至る。
 伊勢の上参宮に対し下参宮といわれ、広く上下の尊崇をあつめている。 一般からは家内安全・産業(農業・商工業)指導の神、海上守護、心願成就、縁結、安産の神として深く信仰されている。 さらに、その武徳は平和・外交の祖神として、勝運・交通安全・火難除けの神としても有名である。
-『全国一の宮めぐり』から-



                           朱塗の大鳥居



              総門                            楼門











              拝殿                            本殿










御社殿
 宮柱の創建は神武天皇18年と古文書に記されている。 古くは伊勢神宮と同様式年御造営の制度により、御本殿を20年毎に造替されたのであるが、現在の御社殿(本殿・楼門・祈祷殿)は元禄13年(1700)徳川綱吉の造営によるものである。
 昭和15年国費により拝殿の改築と共に御本殿以下各社殿を御修営し、その後昭和52年から3年の歳月をかけて御屋根葺替・漆塗替がおこなわれた。 
 構造は本殿(重要文化財)、中殿、拝殿相連れる所謂権現造である。
(現在、拝殿は檜皮葺替修理中。 拝殿の画像は神札授与所で購入した小冊子からお借りした。)


         奥 宮
 香取の宮中、旧参道の中程に鎮座。経津主大神の荒御魂を祀ります。 現在の社殿は、昭和四十八年伊勢神宮御遷宮の折の古材に依るもの。



         要石
 古くより、この地方は大変地震が多く、人々はとても恐がっていました。 これは、地中に大きなナマズが住み着いて荒れ騒いでいるのだと。 香取・鹿島両神宮の大神様等は、地中に深く石棒を差し込み、大ナマズの頭尾を刺し通されたといいます。 当神宮は凸形、鹿島は凹形で、地上に一部を現し、深さ幾十尺と伝えられています。 貞享元年(一六八四)水戸光圀公が当神宮参拝の折、これを掘らせましたが根元を見ることが出来なかったといわれています。


神池
 昭和53年の式年大祭記念事業の一つとして昭和55年10月に竣功した。
 神池は亀甲の池、宮下の池、菖蒲ヶ池の三つに名づけられてある。




 〔左〕 護國神社
 〔御祭神〕 明治以降の国難に殉じた香取郡出身の御霊

 〔右〕 末社 押手神社
 〔御祭神〕 宇迦之御魂神



 〔左〕 末社 市神社・天降神社
市神社  〔御祭神〕 事代主神
天降神社  〔御祭神〕 伊伎志邇保神(饒速日尊)
 〔右〕 末社 馬場殿神社
〔御祭神〕 建速須佐之男命





             〔左〕 末社 諏訪神社    〔御祭神〕 建御名方神
             〔中〕 末社 璽神社     〔御祭神〕 御正印殿神
             〔右〕 末社 大山祇神社  〔御祭神〕 大山祇神


 〔左〕 摂社 匝瑳神社
〔御祭神〕 磐筒男神・磐筒女神 (香取大神の親神)

 〔右〕 摂社 鹿島新宮
〔御祭神〕 武甕槌神(鹿島大神)





〔左〕 末社 櫻大刀自神社  〔御祭神〕 木花開耶姫命 (安産子育の神)
〔中〕 末社 六所神社  〔御祭神〕 須佐之男命・大國主命・岐神・雷神二座・靇神(花薗神社)
〔右〕 末社 裂々神社  〔御祭神〕 磐裂神・根裂神 (香取大神の御祖神)




御祭神の神話

 皆さんは、出雲の国譲りの神話をご存じでしょうか?
 香取の御祭神経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は、この神話に出てくる神様なのです。
 神話の内容は、はるか昔、天照大神(伊勢神宮・内宮の御祭神)が日本の国を治めようとしましたが、荒ぶる神々が争い、乱れていました。
 大御神は八百万神に相談すると、天穂日命(あめのほひのみこと)がすぐれた神であるということで遣わされましたが、出雲国の大国主神(おおくにぬ しのかみ)に従ってしまったので、次に天稚彦(あめのわかひこ)が遣わされました。 天稚彦もまた忠誠の心なく、 顯國玉神(うつしくにたまのかみ)の娘の下照姫(したてるひめ)を妻として、自ずから国を乗っ取ろうとしましたが、亡くなってしまいました。
 このようなことが二度つづいたので、大御神が八百万神に慎重に相談させると、神々が口を揃えて、経津主神こそふさわしいと申し上げました。 そこへ武甕槌大神(たけみかづちのかみ・鹿島神宮の御祭神)が申し出られたので、 共に出雲に派遣されることになりました。
 経津主、武甕槌の二神は出雲国の稲佐の小汀(いなさのおはま)に着いて十握剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さに突き立て、武威を示されると大国主神は大御神の御命令に全く異議はありませんということで、平国の広矛(くにむけのひろほこ)を受け取り、二神は日本の国を平定して、大御神の元へ復命されたのです。
-『香取神宮公式サイト』から-





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