2012年10月18日
摂津国一宮 住吉大社
海路守護 航海の神
摂津国一宮 住吉大社
摂津国一宮 住吉大社
摂津国一宮 住吉大社 (すみよしたいしゃ)
〔鎮座地〕 大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89
〔社格〕 旧官幣大社 摂津国住吉郡の式内社・住吉坐神社四座(並名神大 月次・相甞・新甞)
〔御祭神〕 第一本宮 底筒男命(そこつつのおのみこと)
第二本宮 中筒男命(なかつつのおのみこと)
第三本宮 表筒男命(うわつつのおのみこと)
第四本宮 息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)=神功皇后(じんぐうこうごう)
〔御由緒〕 筒男三神(住吉大神)は伊邪那岐命が禊祓(みそぎはらい)をした際に誕生した神々、神功皇后は九州・新羅へ遠征し帰途に住吉大神の御神託を受けて鎮祭された由縁による。
住吉大神の出現が海に関すること、大坂湾が当社の近くまで来ていたこと等により、古くから航海・漁業の守護神として信仰されてきた。 遣唐使の出立に際して必ず奉幣があり、その後も大坂の発展と共に海上輸送の要衝として、船頭衆や廻船業者らにより、各地へ住吉信仰が広まった。
また和歌の神として信仰されているのは、住吉大神が和歌を以て託宣を行ったとされるためで、藤原俊成や定家らも和歌の上達を祈願したと伝える。
本殿は住吉造と呼ばれる独特の建築で文化七年(1810)の造営で国宝に指定されている。 第一、第二、第三本宮は西面し縦に並び、第四本宮は第三本宮の右側に配置されている。 約三万坪の境内には数多くの摂末社が建ち並ぶ。
-『全国一の宮めぐり』から-
第一本宮 拝殿 第一本宮 本殿
第二本宮 拝殿 第三本宮 本殿
第三・第四本宮 拝殿 第四本宮 本殿
御本殿 -国宝-
現在ある本殿は全て1810年(文化7年)に造られました。 第一本宮から第四本宮にいたる4棟の御本殿は「住吉造」と称し、神社建築史上最古の様式の一つといわれる。 いずれも国宝建造物に指定されています。 (昭和28年11月14日 指定)
本殿 縦並びの配置
第一本宮から第三本宮までは直列、第四本宮と第三本宮は並列に配置され、全国的にもたいへん珍しい建築配置です。あたかも大海原をゆく船団のように立ちならび、「三社の縦に進むは魚鱗の備え 一社のひらくは鶴翼の構えあり よって八陣の法をあらわす」とも言い伝えられます。住吉造
御本殿は「住吉造」といわれており、神社建築史上最古の特殊な様式で国宝に指定。3つの特徴からなります。1) 柱・垂木・破風板は丹塗り、 羽目板壁は白胡粉塗り
2) 屋根は桧皮葺で切妻の力強い直線
3) 出入り口が直線型妻入式
屋根には置千木と5本の四角堅魚木があります。周囲に迴廊なく、本殿の周囲には板玉垣、その外に荒忌垣があります。
柱は太い丸柱で礎石の上に立っており、柱間は横板張りで、正面より前が外陣、奥が一段高い内陣と二室あります。
-『住吉大社公式サイト』から-
摂社 4社
摂社 大海神社(たいかいじんじゃ)-重要文化財-
摂津国住吉郡の式内社・大海神社二座
〔御祭神〕 豊玉彦命・豊玉姫命 (海の神さま)
記紀神話では、海宮に赴いたときに出会った父神と娘神の二神(豊玉彦命と豊玉姫命)の伝説が残っています。 大海神社は、その舞台となった海宮、つまり龍宮そのものです。 社前の井戸は「玉の井」と呼ばれ、海神より授かった潮満珠を沈めたところだと伝えられています。昔は、萩と藤の名所でもありました。
摂社 船玉神社(ふなたまじんじゃ)
摂津国住吉郡の式内社・船玉神社
〔御祭神〕 天鳥船命(あめのとりふねのみこと)・猿田彦神(さるたひこのかみ)
船や飛行機の安全を守る神さま
船玉神を祀る神社です。 古くは延喜式にも名前がみえ、住吉の荒魂ともいわれていました。 現在では航海・航空を問わず、海外に渡航する前に参拝する方も増えています。
摂社 若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)
〔御祭神〕 誉田別尊・武内宿禰
武勇の神さま
誉田別尊(ほんだわけのみこと:応神天皇) 第四本宮の祭神・神功皇后の御子で、第15代応神天皇です。八幡神ともいわれています。
武内宿禰(たけしうちのすくね:<国家鎮護・厄除開運・安産育児>) 1月12日に行なわれる例祭では、湯立神楽が行なわれます。
摂社 志賀神社(しがじんじゃ)
〔御祭神〕 底津少童命(そこつわだつみのみこと)・中津少童命(なかつわだつみのみこと)・表津少童命(うわつわだつみのみこと) 海の神さま
記紀神話で、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉国(よみのくに)から帰還し、海中で禊祓(みそぎはらい)をしたときに、住吉大神とともに出現された海の神だといわれています。 本社は福岡市の志賀海神社です。
初辰さん (はったつさん)
住吉といえば商売発達 「はったつさん」
商売発達のために遠方から訪れる人も多く、早朝から大勢の参拝客でたいへんにぎわいます。種貸社、楠珺社、浅沢社、大歳社の四社をそれぞれにお参りするのが慣わしとなっています。
末社 楠珺社(なんくんしゃ) “初辰さん”
〔御祭神〕 宇迦魂命(うがのみたまのみこと)
商売発達・家内安全の神さま
お稲荷さんです。境内の奥には、樹齢千年を超える楠の大樹があり、江戸時代、人々は楠の神秘的な霊力に祈りを捧げていました。その後、根元に設けられていた社にお稲荷さんを祭るようになったといわれています。現在では、大阪商人を始めとして、全国、さらに海外の信仰を集めるまでにいたりました。
末社 種貸社(たねかししゃ) 式内社・多米神社
〔御祭神〕 倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
資金調達・子宝の神さま
昔は、稲種を授かって豊作を祈るという信仰がありました。 神から授かった「お種銭」を資本に加えて商売すれば増殖繁栄すると、大阪商人に親しまれ、多くの参拝客が訪れるようになっています。 稲には繁殖させる穀霊が宿っているといわれており、子授けの神として授与している「種貸人形」は人気があります。
末社 大歳社(おおとししゃ)
摂津国住吉郡の式内社・草津大歳神社(鍬靫)
〔御祭神〕 大歳神(おおとしのかみ)
集金満足・心願成就の神さま
稲の収穫の守護神です。大阪商人の間では、特に集金の守護神として信仰されてきました。また家の安全、幸福の守護神でもあります。ご祈祷をしていただいた方には、毎月、初辰まいりのお守りとして、小石に大の字が書かれたものを授与しています。
末社 浅沢社(あさざわしゃ) -弁天さん-
〔御祭神〕 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
弁天さんともいわれ、女神として、また芸能・美容の神として親しまれています。
住吉に参拝する女性は、必ず訪れる慣わしがあり、カキツバタの名所でもあります。
初辰まいり
日程 毎月の初辰日場所 種貸社・楠珺社・浅沢社・大歳社
由来 住吉独特の行事であり、近年、参拝する人が増えています
初辰とは、毎月最初の辰の日のことです。 この日に参拝すれば、より一層力を与えて守り助けてくれると信仰されてきました。 そして4年を一区切りとして、48回参拝すれば、満願成就となります。 これは、四十八辰、つまり始終発達するという意味からきたもので、4年間月参りを続けられるというのは、それだけ無事発達していることでもあります。
また楠珺社で親しまれているのは、羽織りを着た愛嬌のある土人形の招福猫です。 偶数月には右手を、奇数月は左手を挙げたものを毎月集め48体そろうと、満願成就の証として納めていただきます。 そして新たに大きな招福猫と交換してもらい、今後のご繁栄を祈願します。 左手を挙げているのが家内安全、右手を挙げているのが商売繁昌の御利益です。
参拝ルート (種貸社から始まる四社巡拝)
種貸社では「種銭」というお祓いをした硬貨を授かり、これを商売などの元手に加えて、一粒万倍の祈願をします。 さらに大歳社ではその月の収穫に感謝します。正式な参拝ルート 1、種貸社 2、楠珺社 3、浅沢社 4、大歳社
その他、ご祈祷を受けた後、種貸社、楠珺社、大歳社の三社を参り、御田で収穫された御神米をいただく「みのりまいり」もあります。
-『住吉大社公式サイト』から-
末社
末社 侍者社(おもとしゃ)
〔御祭神〕 田裳見宿禰(たもみのすくね)
〔相殿〕 市姫命(いちひめのみこと)
初代の神主とその姫神をまつり、縁結び・夫婦円満などの信仰を集めます。絵馬掛けには、さまざまな願いが書かれた絵馬で埋め尽くされています。
末社 市戎大国社(いちえびすだいこくしゃ) -えべっさん-
〔御祭神〕 えびす 事代主命(ことしろぬしのみこと)
だいこく 大国主命(おおくにぬしのみこと)
住吉の「えべっさん」として親しまれています。 エビス信仰は全国で広く行われていますが、住吉のエビス神は社としての歴史が古く、大阪では最古のエビス神です。
末社 楯社(たてしゃ) (楯の御社)
〔御祭神〕 武甕槌命(たけみかづちのみこと)
別名を楯御前(たてごぜん)ともいわれています。 本社は鹿島神宮で、御本宮を守護する武神です。
末社 鉾社(ほこしゃ) (矛の御社)
〔御祭神〕 経津主命(ふつぬしのみこと)
別名を鉾御前(ほこごぜん)ともいいます。 本社は香取神宮で、御本宮を守護する武神です。
末社 后土社(ごどしゃ)
〔御祭神〕 土御祖神(つちのみおやのかみ)
后土は土地の神を指し、鬼門を守護しています。 昔は神木が祀られており、神饌の余りや祭器の破棄すべきものは、すべてこの神木の下に納めたともいわれています。
末社 星宮(ほしのみや)
〔御祭神〕 国常立命(くにのとこたちのみこと)・竈神(かまどのかみ)
金星の神さまといわれています。 また竈神は、荒神さん(家の守護神)といわれ、炊事場に祀るお札も授与所に置いています。
〔左〕 末社 海士子社(あまごしゃ) 〔御祭神〕 鵜茅葺不合尊(うがやふきあえずのみこと) 海宮伝説により祭られている海神です。祭神は海幸彦山幸彦の神話で、海宮の豊玉姫の御子神でもあります。 〔右〕 末社 児安社(こやすしゃ) 〔御祭神〕 興台産霊神(こごとむすびのかみ) かつては縁結びの神として信仰を集めていました。現在は、子供を守る神としても崇敬されています。
末社 龍社(たつしゃ) -御井殿社(みいどのしゃ)-
〔御祭神〕 水波野女神(みづはのめのかみ)
住吉の地は大海神社の記紀伝説にもあるように、竜宮と呼ばれる海宮の言い伝えがあります。 この龍社も、もともとは御井殿社(みいどのしゃ)といわれていました。
末社 八所社(はっしょしゃ)
〔御祭神〕 素盞嗚尊(すさのおのみこと)
京都にある八坂神社の祇園信仰の社です。 祇園信仰とは、疫病・厄除け・暦・方位の神さまです。
末社 立聞社(たちぎきしゃ) -長岡社・春日社-
〔御祭神〕 天児屋根命(あめのこやねのみこと)
別名、長岡社といいます。 古くは春日社とも呼ばれていました。 また縁切りの神として、禁煙や酒断ちを決意した参拝者に崇敬されています。
末社 新宮社(しんぐうしゃ) -王子社(旧津守王子)-
〔御祭神〕 伊邪那美命(いざなみのみこと)・事解男命(ことさかのおのみこと)・速玉男命(はやたまのおのみこと)
住吉大社より東側にある墨江小学校前の旧熊野街道には熊野神を拝むために、一里ごとに熊野三所権現が祭られていました。その「熊野九十九王子」の一つ「津守王子」が新宮社であるといわれ、現在は住吉大社の境内で祭られています。
末社 貴船社(きぶねしゃ)
〔御祭神〕 高龗神(たかおがみのかみ)
水や雨を司る神さまをお祀りしています。 本社は京都の貴船神社です。
末社 五社(ごしゃ) (大領社・板屋社・狛社・津社・高木社・大宅社・神奴社) 住吉の神職七家祖神を祀っています。春と秋の2回お祭りが行われます。七家とは、住吉大神をお祭りされた初代神主・田裳見宿禰 (たもみのすくね) の七人の子より始まる神職の家です。 〔御祭神〕 大領の祖神・板屋の祖神・狛の祖神・津の祖神・高木の祖神・大宅の祖神・神奴の祖神
末社 薄墨社(うすずみしゃ)
〔御祭神〕 国基霊神(くにもとのみたまのかみ) (第39代・津守神主)
ご祭神の国基は、和歌の名手として誉れ高かったといわれ、その秀歌により「薄墨神主」と讃えられました。
末社 斯主社(このぬししゃ)
〔御祭神〕 国盛霊神(つもりくにもりのみたまのかみ) (第43代・津守神主)
ご祭神の国盛は、住吉大社の神職でありながらも、ほかの神社の仕事も兼務するなど、さまざまに活躍し、有徳敏腕の人であったといわれています。
末社 今主社(いまぬししゃ)
〔御祭神〕 国助霊神 (第48代・津守神主)
ご祭神の国助は神職でした。 2度の元寇でモンゴルが北九州に攻めてきたときには、国を挙げて祈願し、住吉大社でも朝敵降伏を祈ったといわれてます。 また、生前より霊感が異常にすぐれていたそうです。
末社 招魂社(しょうこんしゃ)
〔御祭神〕 諸霊神(もろもろのみたまのかみ)
神職や崇敬者を代表するような人をはじめ、特別の奉仕をした人々や殉職者や偉業者など、住吉大社に縁の深い人などを祖霊神として祀っています。 春分の日と秋分の日の2回お祭りがあります。
名所旧跡
五所御前(ごしょごぜん)
第一本宮と摂社若宮八幡宮との間にあり、杉樹が石の玉垣の内に立っています。 昔神功皇后が当社を御鎮祭のため社地をお定めになる時、この杉の木に白鷺が三羽来て止まりましたので、ここが大神の御思召のところとして祀られたと伝わる聖地です。 別名を「高天原(たかまがはら) 」ともいい、神霊をおむかえするミアレ所でもあります。 毎年5月の住吉大社創立記念の祭、卯之葉神事では、卯の葉の玉串がささげられます。 石の玉垣のなかにある砂利には「五・大・力」と書かれた小石があり、これを集めてお守りにすると心願成就にきくとされます。
おいとしぼし社
「おもかる石」と呼ばれる不可思議な石が三基あります。 人々は願掛けをしたのち、石を持ち上げ、軽く感じれば「可」、重く感じれば「否」であると伝えられています。 大歳社の境内にありますが、もともとは境内の外であつい信仰を集めていました。 年に2回、春と秋に例祭が行われます。
住吉鳥居 (角鳥居)
四角柱の鳥居であるため、角鳥居(かくとりい)とも呼ばれています。
このような四角柱の柱は古い様式で大変珍しく、各本殿と拝殿の間に建っている木造朱塗りの鳥居が原形となっています。
題額は陶製。有栖川宮熾仁親王の筆による。
手水舎(てみずしゃ) 手や口を洗うのは、身体や心を清浄にするためです。昔は水につかって清める禊(みそぎ) を行っていましたが、今は簡略化して手と口を洗うだけで、全身を清める象徴にしています。 ウサギの口から水が注がれているのは、神功皇后がお祭りされた日が卯の日であり、住吉大社とウサギとの深い結びつきを象徴したものだといえます。
石舞台(いしぶたい) -重要文化財-
舞楽を奏でるところです。慶長年間に豊臣秀頼によって奉納され日本三舞台(住吉大社・厳島神社・四天王寺)のひとつでもあり、重要文化財に指定されています。毎年5月の卯之葉神事では、雅びでおごそかに舞楽が行なわれます。 日本三大舞台の一つで、舞樂を奏するところです。南門・東と西の樂所と共に慶長年間豊臣秀頼が奉納され、重要文化財に指定されています。
御田(おんだ)
約20アール(約600坪)の田んぼです。 6月14日の御田植神事は、ここで行なわれます。
実際に苗を植え、稲刈りまで通している御田は全国でも少なく、カモによる無農薬栽培を行なっています。
誕生石(たんじょうせき)
源頼朝の寵愛を受けた丹後局(たんごのつぼね)がここで出産した場所と伝えられ、その子が薩摩藩「島津氏」の始祖・島津忠久公です。 この丹後局の伝説が語りつがれて、今でもここで安産を祈る人々が絶えません。
住吉御文庫
第一本宮の北に建つ二階建・土蔵造の御文庫で、享保8年(1723)に三都(大阪・京都・江戸)の書林が奉納、大阪最古の図書館として有名です。
高庫 伊勢神宮遙拝所 御神木夫婦楠
反橋 (そりはし)
反橋 (そりはし)
住吉の象徴として大変有名で太鼓橋(たいこばし)とも呼ばれています。 長さ20m、幅5.5m、高さ3.6m。 現在の石の橋脚は慶長年間(1596~1615)に淀君が奉納したものであるといわれています。 昔は、この橋の近くまで波が打ち寄せられていたそうです。 この橋を渡るのは、神さまに近づくのに罪や穢(けが)れを祓(はら)い清めるためです。 反っているのは、地上の人の国と天上の神の国とをつなぐ掛け橋として、虹にたとえられていました。川端康成が、小説『反橋』で「上るよりもおりる方がこはいものです」と書いたことでも知られています。 夜は21時までライトアップされ、関西夜景100選にも選ばれています。
川端康成文学碑
反橋は上るよりもおりる方がこはいも
のです
私は母に抱かれて
おりました 川端康成『反橋』より
住の江の 岸に寄る浪 夜さへや
夢のかよひ路 人目よくらむ 藤原敏行朝臣
わが道を まもらば君を まもらなん
よはひはゆづれ 住吉の松 藤原定家
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