2013年05月04日

第14番札所 弘明寺観音


坂東三十三ヶ所 第14番札所 弘明寺観音





瑞応山 (ずいおうざん)   弘明寺 (ぐみょうじ)        通称 弘明寺観音

〔所在地〕 (武蔵国) 横浜市南区弘明寺町267

〔宗派〕 高野山真言宗

〔開基〕 行基菩薩 (ぎょうきぼさつ)

〔中興開山〕 光慧上人 (こうえしょうにん)

〔創建〕 天平9年 (737)

〔御本尊〕 十一面観世音菩薩

〔御真言〕 おん まか きゃろにきゃ そわか





〔略縁起〕 寺伝によれば、聖武天皇の天平9年(737)、行基菩薩が勅命を奉じて、天下泰平祈願のため全国を巡錫中、当山の浄域に霊感を得て、一刀三礼の至誠を尽くして十一面観音を刻み、一宇を建立したのが開創という。 嵯峨天皇の弘仁5年(814)には、弘法大師が回国の際、一千座の護摩を焚いて庶民の除災招福を祈願し、双身歓喜天を彫刻し安置したと言われている。 長暦年間(1037~1040)、武相の地に疫病が流行した時、光慧上人が秘法を修し、宝瓶から霊水を注いで民衆を救い、瓦葺き本堂を建立された。 鎌倉時代には源将軍家累代の祈願所となり、戦国時代には北条早雲から寺領を、江戸時代には歴代将軍から朱印地を賜り、坂東三十三ヶ所観音霊場の十四番札所として信仰を集めた。
 鎌倉時代には、「求明寺(ぐみょうじ)」と称されていた。 その後、呉音で同じ「ぐ」と読む観音経偈文(かんのんぎょうげもん)の中の「弘誓深如海(ぐぜいじんにょかい)」の「弘」の字を当てて、現在の「弘明寺(ぐみょうじ)」に改めたといわれている。



御本尊の御影






御住職の法話

     十一面観音が笑う!?        弘明寺住職 美松寛定

 十一面観音を本尊と奉る寺院は全国各地に多く、当山本尊も、天平時代に行基が、鉈(なた)彫と呼ばれる方法で彫ったといわれる十一面観音である。
 先日、わけがあって本尊さまを動かしていたら、普段はお目にかかることができないまうしろのお顔とご対面させていただくことができた。
 実はこのお顔、カンラ、カンラと笑っているのである。 『十一面観音神呪経』という経典に、「当前の三面は、菩薩の面に作れ。 左の廂の三面は当に瞋れる面に作るべし。 右の廂の三面は、菩薩の面に似て狗牙を上に出せ。 後に一面あり当に笑面に作るべし。 其の頂上の面は当に仏の面に作るべし」
と書かれている。
 つまり正面の三面は菩薩面、左三面は怒りの顔、右三面は牙を出し、頭の上に仏面をおき、そしてうしろの一面は邪心をおさえるために笑っているのである。 機会があれば一度ご覧になってみてはいかがだろう。
-『板東三十三所観音巡礼』から-




納経帳

    〔御墨書〕     「奉拝」   「瑞應山」
               梵字「キャ」   「大悲殿」
               「弘明寺」

    〔御朱印〕     「坂東第十四番」
               蓮華宝珠の中に十一面観音の種子「キャ」
               「弘明寺観音」





十一面観音の種子「キャ」




      ありがたや  ちかひの海を  かたむけて
                     そそぐめぐみに  さむるほのやみ




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