2013年05月10日

第15番札所 白岩観音


坂東三十三ヶ所 第15番札所 白岩観音





白岩山 (しらいわさん)   長谷寺 (ちょうこくじ)      通称 白岩観音

〔所在地〕 (上野国) 群馬県高崎市白岩町448

〔宗派〕 金峯山修験本宗

〔開基〕 役行者 (えんのぎょうじゃ)

〔創建〕 文武天皇朱鳥年中 (697)

〔御本尊〕 十一面観世音菩薩 (秘仏)

〔御真言〕 おん まか きゃろにきゃ そわか





〔略縁起〕 『坂東霊場記』には「白岩山長谷寺は役ノ優婆塞苦行の陳跡なり、十一面観自在の影向、不動明王湧出の霊窟なり。本尊大悲の像は行基大士他の除厄のために楊柳の霊樹を以て彫刻し玉ふ」とある。
 寺伝によれば延暦・大同(782~810)の頃に伝教大師、弘法大師も来錫し、文徳天皇(851)の御代、在原業平が堂宇を修営したという。 のちに源義家、新田義貞など武将の信仰もあつかったという。
 この長谷寺のある所を「白岩」といい、六ヵ坊の修験が修法していた。 新田義貞の挙兵にあたって、この修験者たちが坂東八ヵ国に盛んに檄を伝えたという。 また白岩に境を接する里見郷は新田義貞と共に滅亡した里見一族の本拠地であり、のちの楠正成の家臣浜名左衛門義尊が遠江国濱名邑より来たりて諸堂を改修し護った。 現山主はその三十九代目にあたる。 
 天文元年(1532)、上杉憲政が伽藍を整えてから日本三長谷の一つとなった。 永禄六年(1563)、武田信玄の箕輪城攻略の兵火で焼失したが、武田勝頼が世無道上人に命じ、天正八年(1580)再建させたのが現在の観音堂である。



御本尊の御影





御住職の法話

    観音さま                 長谷寺住職 浜名静海

 阿弥陀の具現か未来の仏、いずれにせよ現世を救い未来を約す有難きお方、一切の欲から離れ慈悲のみが満ちた観音さまは、たえず仏になるべく努力し苦しむ衆生を助け、仏の教えを信じさせながら苦の底から救ってくださいます。 祈る人の心が誠であれば必ず智慧を与え力を貸し、利益、そして楽を与えてくれるのです。
 食べ物を有難くいただく時、コップ一杯の水を感謝の心でいただく時、食べ物も水もみな観音さまなのです。 家庭にあっては可愛い子供のために、一心不乱不動で働く母親の姿はまさに観音さまのお姿です。 また、重症の患者が心から医者を信頼して見てもらうように、頼る者なら区別なく無限の愛情を注いでくださるのが観音さまです。
 仏の教えは限られた人生を正しく全うすべく説かれた教えで、生活の中で目に見えぬわからぬところで肥しとなり糧となっているのです。
 観音さまは現世における衆生救済の菩薩なのです。
-『板東三十三所観音巡礼』から-





納経帳
   〔御墨書〕    「白岩山」
             「大悲殿」
             「長谷寺」
   〔御朱印〕    「坂東十五番」
             蓮華宝珠の中、
             上段に、御本尊十一面観音の種子「キャ」
             下段右(左脇侍仏)に、毘沙門天の種子「バイ」
             下段左(右脇侍仏)に、不動明王の種子「カン」
              「長谷寺印」




御宝印の種子

        不動明王「カン」       十一面観音「キャ」       毘沙門天「バイ」





           誰も皆な  祈る心は  白岩の
                           初瀬の誓ひ  頼もしきかな




この記事へのトラックバックURL

http://manyuuki.mediacat-blog.jp/t90465