2013年05月27日

第17番札所 出流観音


坂東三十三ヶ所 第17番札所 出流観音





出流山 (いづるさん)  満願寺 (まんがんじ)        通称 出流観音

〔所在地〕 (下野国) 栃木県栃木市出流町288

〔宗派〕 真言宗智山派別格本山

〔開基〕 勝道上人 (しょうどうしょうにん)

〔創建〕 天平神護元年 (765)

〔御本尊〕 千手観世音菩薩 (弘法大師御作)

〔御真言〕 おん ばざら たらま きりく





〔略縁起〕 今から千二百余年前に修験の行者、役の小角によって「観音の霊窟」(鍾乳洞)が見つけられ、天平神護元年(765)、日光山繁栄の源を作られた勝道上人によって開山された。 弘安11年(820)、弘法大師が勝道上人の徳を慕って参詣し、山中にあった名木で千手観音を造立し、山麓に一堂を建て「千手院」としたのが始まり。
 「観音の霊窟」には鍾乳石によって自然にできた十一面観音像があり、下野の国司の高藤介の妻が「観音の霊窟」に籠り、男の子を授かった。 この子がのちの勝道上人で、以来、当山の奥之院にお祀りされている鍾乳洞で自然にできた「十一面観音菩薩」は子授け、安産、子育てのご利益があると信仰されている。
 本堂(大御堂)は、後小松天皇の応安元年(1368)、足利義満公の寄進によって、観音堂として建立されたが、元文五年(1740)の大火により焼失。 今の大御堂は中興第十七世道呆(どうごう)和尚が営々辛苦の末に明和元年(1764)に再建したものである。 八間四面入母屋造り、唐破風向拝(からはふうごはい)つき、三手先竜(みてさきりゅう)の彫刻がほどこされ、筑波山の大御堂(現在の筑波神社本殿)、奈良の輿福寺大御堂と共に日本三御堂の一つと称せられ、徳川中期の堂宇建築の代表的なものと言われる。 元治元年(1864)、本堂と書院を焼失したために、現在は大御堂をもって本堂としている。



御本尊の御影




御住職の法話

    観音さまと護摩祈禱の寺           出流山住職 竹村智優 

 出流山では、ご信者のみなさまのお願いごとが成就するように、毎日ご宝前で護摩祈禱が行われております。 当山のご本尊千手観世音菩薩は、観音経の言葉どおり私たちの願いを即時にかなえて霊験ますますあらたかであります。
 護摩祈禱とは、私たちのさまざまな願いごとを観音さまの智慧の火によって浄めて成就させる法要であります。 私たちが生きている現実は、悟りも迷いも、間違いも入りまじっているわけです。 私たちの願いごとも、身勝手で迷いも間違いもまじっているかも知れません。
 それを全部洗いざらい観音さまにぶつけて一心に祈願すると、私たちの迷いや間違いが洗い浄められて、自分自身の本当の願いが何であるか明確になり、その願いが実現できるという弘法大師の秘法が護摩祈禱であります。
 もちろん、ご信者のみなさまにも、一緒に観音経を唱和していただけば、山深い本堂に響くお経の声はみなさまの心に深くしみ入って、観音さまの妙智力はみなさまのものになるに違いありません。
-『板東三十三所観音巡礼』から-





納経帳

    〔御墨書〕      「奉拝」    「出流山」
                「大御堂」
                「満願寺」

    〔御朱印〕      「坂東十七番」
                蓮華宝珠の中に千手観音の種子「キリク」
                「出流山」





千手観音の種子「キリク」





       ふるさとを  はるばるここに  たちいづる
                        わがゆくすえは  いづくなるらん




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