2013年05月31日

第18番札所 中禅寺


坂東三十三ヶ所 第18番札所 中禅寺





日光山 (にっこうさん)   中禅寺 (ちゅうぜんじ)      通称 立木観音

〔所在地〕 (下野国) 栃木県日光市中禅寺歌ケ浜2578

〔宗派〕 天台宗

〔開基〕 勝道上人 (しょうどうしょうにん)

〔創建〕 延暦3年 (784)

〔御本尊〕 千手観世音菩薩

〔御真言〕 おん ばざら たらま きりく





〔略縁起〕 寺伝によれば、延暦3年(784)、日光を聖地として開いた勝道上人が開基。 上人は天平勝宝6年(754)20歳で出家し、出流山(17番札所)の霊窟に参籠し、深く観音菩薩に帰依された。 そして観音浄土への強いあこがれから、やがて男体山を開くに至った。
 27歳の天平神護2年(766)、日光の地に四本龍寺を建立し、それから16年を要し、ついに延暦元年(782)前人未踏の男体山の頂上をきわめられた。
 中禅寺は延暦3年(784)、上人が中禅寺湖周遊の折、湖上に千手観音の尊容を感得され、桂の巨木を選んで立木のまま観音像を刻んだ。 これが中禅寺の始まりで、寺の通称「立木観音」はこれに由来する。
 「日光」という地名は「二荒」から出ており、二荒山とは男体山のことである。 二荒は「フタラ」と読み、音読で「ニコウ」、これに「日光」の文字をあてたもの。 この「フタラ山」こそ観音浄土の「補陀洛山」なのである。



御本尊の御影




御住職の法話

      観音さまのお声                輪王寺前門主 鈴木常俊 

 ある夏の日、七十歳前後のおじいさんが、中学生ぐらいの孫をつれて、ご本尊立木観音さまの前で、一心に観音経を読誦している。 その姿があまりに真剣なので、後刻声をかけてみると、実は、と言いながら次のようなことを話してくださった。
 私は若い頃、経済的な悩みごとで人生に失望、死ぬつもりで華厳の滝まで来たが、この世の最後にと思い立木観音さまをお参りしたところ、「死んではいけない。頑張りなさい」という観音さまのお声が聞こえてきたのです。
 観音さまのお言葉で死ぬのを思い留まり、それからは一生懸命働いてきました。 おかげさまで今日の私があるのです。 年に一度必ず参拝お礼を申し上げているのですが、おそらくほかにも私のような人がいると思いますよ、とのことであった。
 観音さまをお参りしたため、華厳病から救われている人が何人もいるということは本当に有難いことです。
   南無大慈大悲観世音菩薩
-『板東三十三所観音巡礼』から-




納経帳

    〔御墨書〕      「奉拝」   「日光山」
                「立木大悲殿」
                「中禅寺」

    〔御朱印〕      「坂東十八番」
                宝珠の中、中央に千手観音の種子「キリク」
                周りに観音経の一句 「福聚海無量」
                「日光山中禅寺」





千手観音の種子「キリク」





        中禅寺  のぼりて拝む  みずうみの
                        うたの浜路に  たつは白波




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