2013年06月07日

下野国一宮 日光二荒山神社


関東総鎮守  下野国一宮
日光二荒山神社 (にっこうふたらさんじんじゃ)





下野国一宮 日光二荒山神社 (にっこうふたらさんじんじゃ)

〔鎮座地〕 栃木県日光市山内2307

〔社格〕 旧国幣中社  式内社・下野国河内郡二荒山神社(名神大)

〔御祭神〕 大己貴命 (おおなむちのみこと)
       田心姫命 (たごりひめのみこと)
       味耜高彦根命 (あじすきたかひこねのみこと)

〔御由緒〕 天応二年(782)に下野国芳賀郡の勝道上人が、関東平野北方に聳える男体山(二荒山)の山頂(標高2486m)に奥宮を創建、その二年後には中禅寺湖畔(海抜1230m)に中宮祠を創建した。 山頂には祭祀遺跡が確認され多数の出土品があり、古代より関東の霊地として信仰されてきたことがわかる。
 当社は男体山を神体山とし、「日光」の地名は二荒を音読みして付けられたという。 『延喜式』に名神大社として記載され、また下野国一の宮として古くより朝野の尊崇を集めた。
 元和三年(1617)、隣接地に徳川家康を祀る東照宮が建立されると、幕府より地主神として篤く崇敬され、境内建物の整備が進められた。 本殿や拝殿は元和五年(1619)、将軍徳川秀忠の造営、日光最古の建造物で、社殿は全て重要文化財に指定。 平成十一年には、当社と東照宮、輪王寺の二社一寺が「日光の社寺」として世界文化遺産に登録され、本社や神橋など二十三の建造物が指定されている。
-『全国一の宮めぐり』から-



         楼門               銅鳥居と境内            神門と御神木



              拝殿                            本殿













神苑内 三社 (世界遺産)

        日枝神社               大国殿              朋友神社


  〔左〕 日枝神社 (ひえじんじゃ)   御祭神 大山咋命 (おおやまくいのみこと)
  〔中〕 大国殿 (おおくにでん)     御祭神 大国主命 (おおくにぬしのみこと)
  〔右〕 朋友神社 (みともじんじゃ)  御祭神 少名彦名命 (すくなひこなのみこと)



神苑内 名所旧跡

     神輿舎(世界遺産)       大国田道間守の石像         日光連山遙拝所



       二荒霊泉             唐銅燈籠(重文)          子授け安産の石





日光二荒山神社 別宮
本宮神社 (ほんぐうじんじゃ)

           本宮神社拝殿                      本宮神社本殿












別宮 本宮神社 (ほんぐうじんじゃ)

〔鎮座地〕 栃木県日光市山内

〔御祭神〕 味耜高彦根命 (あじすきたかひこねのみこと)

〔御由緒〕 二荒山神社発祥の地、すなわち日光の原点である。 天平神護2年(766)、勝道上人が大谷川(だいやがわ)を渡って日光に入って四本龍寺を開き、翌年その傍ら(現在の本宮神社の場所)に二荒山の神を祀った。 これが二荒山神社と輪王寺の開創であり、元は本宮神社の辺りが日光の中心であった。
 嘉祥3年(850)、昌禅座主が現在の二荒山神社本社の地に社殿を造営し(新宮)、元の社地には太郎山の神(味耜高彦根命)を祀った。 これが本宮神社である。
 男体山の神(大己貴命)を祀る新宮(本社)、太郎山の神(味耜高彦根命)を祀る本宮神社に、女峰山の神(田心姫命)を祀った滝尾神社を合わせて「日光三社権現」と称した。
 社殿は貞享2年(1685)の再建で、重要文化財に指定され、世界遺産にも登録されている。


     勝道上人笈掛石          四本龍寺三重塔          四本龍寺観音堂





神橋 (しんきょう)




神橋 (しんきょう)      (重要文化財・世界遺産)

 天平神護2年(766)、勝道上人が二荒山へ入ろうとしたが、大谷川(だいやがわ)の激流に阻まれた。 困り果てた上人が一心に祈念すると、一人の神人が現れた。 身の丈は1丈余(3m余)、左手には赤と青の2匹の蛇が巻き付いていた。 そして上人に「我は深沙大王(じんしゃだいおう)である。汝を彼の岸に渡すべし」と言い手にもった蛇を放った。 蛇はたちまち岸を結んで虹のような橋となり、背に山菅が生えた。 上人一行が橋を渡り終え、後ろを振り返ると橋も神人も消えていたという。 上人は合掌して、深砂大王の加護に感謝し、それ以来この神橋を「山菅の蛇橋(やますげのじゃばし)」とも称する。                           深沙王堂(蛇王権現堂)
 奈良時代の末に、神秘的な伝承によって架けられたこの橋は神聖な橋として尊ばれ、寛永3年(1626)に現在のような神橋に造り替えられてから、東照宮の遷宮以後は神事・将軍社参・勅使・幣帛供進使などが参向のときのみ使用され、一般の通行は下流に架けられた日光橋を使うこととされた。
 山間の峡谷に用いられた「はね橋」の形式としては我国唯一の古橋であり、日本三大奇橋(当橋・山口県錦帯橋・山梨県猿橋)の一つに数えられている。 橋の長さは28m、幅7.4m、高さ(水面より)10.6mあり、高欄には親柱10本を建て、それぞれに擬宝珠が飾られ(乳の木)、橋板の裏は黒漆塗で、その他は朱に塗られている。
 昭和57年男体山頂鎮座1200年祭斎行に際し、昭和48年よりその奉賛を目的として、広く一般に公開され、平成9年より大修理が行われた。
 日光二荒山神社の建造物で、国の重要文化財に指定され、平成11年12月に世界遺産に登録された。




        君もこす  人もとはずば  しもつけや
              二荒の山と  我やなりなむ            能因法師



        春風の  二荒のやまは  おほらかに
              雲井にそびえ  またはかくるる        清水比庵




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