2013年06月12日

第19番札所 大谷観音


坂東三十三ヶ所 第19番札所 大谷観音





天開山 (てんかいざん)  大谷寺 (おおやじ)      通称 大谷観音

〔所在地〕 (下野国) 栃木県宇都宮市大谷町1198

〔宗派〕 天台宗

〔開基〕 弘法大師

〔創建〕 弘仁元年 (810)

〔御本尊〕 千手観世音菩薩

〔御真言〕 おん ばざら たらま きりく





〔略縁起〕 弘法大師が弘仁元年(810)に造立したと伝わる大谷寺の御本尊は、本堂背面に聳える凝灰岩層(大谷石)の洞穴壁面に彫られた日本最古の磨崖仏である。 洞内壁面には御本尊の千手観音像(像高3.89m)、釈迦三尊像(像高3.54m)、薬師三尊像(像高1.15m)、阿弥陀三尊像(像高2.66m)の4組10体の石心塑像が彫られ、いずれも平安時代造立のもので、国の特別史跡及び重要文化財に指定されている。
 この地は平安時代中期には周辺住民等の信仰の地となっていたものと推定され、鎌倉時代には下野宇都宮氏の保護の下で隆盛し、坂東三十三ヶ所の一に定められた。 豊臣秀吉により下野宇都宮氏が改易されると一時は衰退を余儀なくされたが、江戸時代に入ると徳川家康の娘奥平亀姫が深くこの尊を信じ、元和年間(1615~1624)には天海大僧正の弟子であった伝海僧正によって中興され、以後天台宗に属し、輪王寺の末寺としての寺格を誇った。 今も葵紋の幔幕が本堂の向拝を飾っている。


御本尊の御影




御住職の法話

    身代わりになくなったお守り         大谷寺住職 高橋敬忠
 当山ご本尊の千手観音は、弘仁元年(八一〇)弘法大師の作と伝えられており、古くから大谷観音と称され親しまれております。
 さて、近年は観光旅行のブームに乗り、観光主体の参拝者が増えておりますが、とても信心深い青年のことをお話ししましょう。
 親子代々信仰の厚い家に育ったその青年が、、交通安全のお守りを下さい、と当山お守り授与所へ飛び込んで来ました。 しかし、彼は数日前に同じお守りを受けていたのです。 訳を尋ねますと、車の運転中に子供が道路に飛び出して来たそうです。 避けられないと思いながらも急ブレーキを踏み、「アッ」と叫んだ時、不思議にも子供が向きを変え、無事に事故を避けられたということです。 冷や汗を抗うような出来事があったその後、ふと気がつくとお守りがなくなっていたそうです。 もちろん、どこかでなくしたのかも知れないとも話しておりましたが、彼は同じ交通安全のお守りを受けて帰って行ったのでした。
 千手観音は、千の手と千の目を持っておられ、いつも大きなお慈悲の心で私達を見守って下さっています。 参拝の折は、感謝の気持ちを持って合掌礼拝して頂きたいものです。
-『板東三十三所観音巡礼』から-





納経帳

     〔御墨書〕      「天開山」
                 「千手大悲殿」
                 「大谷寺」

     〔御朱印〕      「坂東十九番」
                 蓮華宝珠の中に、千手観音の種子「キリク」
                 「大谷寺印」





千手観音の種子「キリク」





        名を聞くも  めぐみ大谷の  観世音
                      みちびきたまへ  知るも知らぬも




この記事へのトラックバックURL

http://manyuuki.mediacat-blog.jp/t91404