2013年06月21日

第20番札所 益子観音

坂東三十三ヶ所 第20番札所 益子観音





獨鈷山 (とっこさん)  西明寺 (さいみょうじ)        通称 益子観音

〔所在地〕 (下野国) 栃木県芳賀郡益子町大字益子4469

〔宗派〕 真言宗豊山派

〔開基〕 行基菩薩 (ぎょうきぼさつ)

〔創建〕 天平9年 (737)

〔御本尊〕 十一面観世音菩薩

〔御真言〕 おん まか きゃろにきゃ そわか





〔略縁起〕 西明寺は東日本の焼き物の代表「益子焼」で有名な益子の町を見下ろす高舘山の中腹にある。 寺伝によれば、天平9年(737)行基菩薩が十一面観音を刻み、安置したのが草創という。 のちに天平宝字元年(757)に唐僧恵林が入山し、観音堂を建てたと伝わる。
 『坂東霊場記』によると、延暦年間(782~806)に弘法大師が来山し、「貴賎渇仰して法水に浴す。時に法相宗の僧ら挙げて大師の徳を妬み岩窟におしこめた」と記されている。 大師は所持していた独鈷でこの難を逃れ、この地にとどまり、近隣の人々を帰依せしめ、山内十二坊、四十八伽藍を設けて独鈷山と改称したといわれている。
 たびたびの兵火によって堂宇は焼失衰亡するも、康平年間(1058~65)紀正隆が高舘山に居城を築き、益子氏を名乗り大いにこの寺を保護した。 さらに宇都宮景房、続いて北条時頼が本堂を修営、益子寺を西明寺と改め、寺容を旧に復した。
 今も残る本堂内陣の逗子には応永元年(1394)の墨書があり、楼門は明応元年(1492)、三重塔は天文7年(1538)の造立。 いずれも国の重要文化財に指定されており、西明寺は室町建築の宝庫である。


御本尊の御影





御住職の法話

     菩薩とは・・・・・・                西明寺住職 田中雅博
 弘法大師の著作から観音菩薩について紹介しましょう。
 「浄妙国土に於ては仏の身を現成し、雑染五濁の世界に住せばすなわち観自在菩薩たり」
 仏の身を完成しておられる観自在菩薩は、煩悩に染まった現実の世間に住んでおられます。 不著生死(仏であり)、不住涅槃(世間に住む)が菩薩の理想です。
 「観自在菩薩は手に蓮華を持し、一切有情の心中の如来蔵性、自性清浄光明を観じたもう」
 心を本尊に集中して、雑念がなく浄らかになった心の状態を信(清浄心)といいます。 そこには、すべての他人を自分自身と観る慈悲の心が備わっています。 これが仏の心であり、誰もが本来持っているので如来蔵性といいます。 蓮の花は泥の中から出てくるが、垢に染まらない。 それで観音さまは蓮華を持ちそのように本来浄らかな人々の心を観じられるのです。
 「この菩薩の加持によって、離垢清浄を得て、聖者に等同なり」
 このような観音さまを本尊として修行すれば、ついには自身が観自在菩薩であることを悟れるのです。
-『板東三十三所観音巡礼』から-





納経帳

    〔御墨書〕      「奉拝」  「獨鈷山」
                「十一面観世音」
                「西明寺」

    〔御朱印〕      「阪東廿番」
                蓮華宝珠の中に十一面観音の種子「キャ」
                「西明寺印」





十一面観音の種子「キャ」




        西明寺  ちかひをここに  尋ぬれば
                      ついのすみかは  西とこそきけ






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