2013年07月12日

第21番札所 八溝山

坂東三十三ヶ所 第21番札所 八溝山





八溝山 (やみぞさん)  日輪寺 (にちりんじ)      通称 八溝山

〔所在地〕 (常陸国) 茨城県久慈郡大子町上野宮字真名板倉2134

〔宗派〕 天台宗

〔開基〕 役行者 (えんのぎょうじゃ)

〔創建〕 天武天皇2年(673)

〔御本尊〕 十一面観世音菩薩

〔御真言〕 おん まか きゃろにきゃ そわか





〔略縁起〕 八溝山日輪寺は茨城・福島・栃木の三県にまたがる八溝山(標高1022m)の8合目にある。 昔から「八溝知らずの偽坂東」といわれるほど道程が困難で、坂東札所第一の難所であった。 八溝山山頂には、日本武尊の創祀と伝わる八溝嶺神社がある。
 寺伝によれば、天武天皇2年(673)役行者により創建されたと伝わる。 大同2年(807)に弘法大師が来山し、二体の十一面観音を刻み、日輪・月輪の二寺を建て、観音霊場とされた。 仁寿三年(853)には慈覚大師(円仁)の来錫を緑として天台の法流に属した。
 鎌倉時代には源頼朝が寺領を寄せて信仰し、室町時代の文明年間(1469~87)には本堂・雷神門・札堂・薬師堂・不動堂などが甍を並べる大伽藍となったという。
 江戸時代には二度の火災で堂宇は焼失し、水戸藩の保護により再建されたが、天保3年(1832)の水戸藩の廃仏運動で、一時は本尊が白河郡高野大梅に避難されるほどの法難に遭遇した。 明治13年の火災で惜しくも堂宇は全焼し、大正4年に仮堂が建てられた。 現在の本堂は昭和49年、茨城・福島・栃木の三県にわたる信徒及び全国からの巡礼者の浄財によって五間四面の観音堂が完成した。


御本尊の御影




御住職の法話

        因果応報
 よく私たちは、因果応報という言葉を使います。 因果応報という言葉は、原因があって、必ずそれに応じた結果が伴うということです。 私たちは、常々この言葉は良い方の意味では使いませんし、理解しませんが、そうではありません。 七佛通戒偈の中に、「もろもろの悪をなすことなかれ、もろもろの善を行え、それが仏の教えである」と、お釈迦さまもおっしゃっているように、仏教とは簡単な教えであるが、守ること、行うことは大変難しいことでありますから、善因善果であり、悪因悪果なのです。
 つまり、米の種を蒔けば、米の芽が出て、米の花が咲き、穂がなります。 また、麦を蒔けば、麦の芽が出て、麦の花が咲き、麦の実となります。 すばらしい種を蒔けば、良い芽が出、良い花が咲き、良い実が結びます。 それは、自然のことわりであり、人間だけが逃れるものではありません。 良い種を蒔くも、悪い種を蒔くも・・・・・・。
  南無大慈大悲観世音菩薩
-『板東三十三所観音巡礼』から-





納経帳

      〔御墨書〕   「奉拝」  「八溝山」
               梵字「キャ」  「大悲殿」
               「日輪寺」

      〔御朱印〕   「坂東二十壱番」
               蓮華宝珠の中に十一面観音の種子「キャ」
               「日輪寺印」





十一面観音の種子「キャ」





        迷ふ身が  今は八溝へ  詣りきて
                         仏のひかり  山もかがやく





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