2013年08月18日

第25番札所 大御堂観音


坂東三十三ヶ所 第25番札所 大御堂観音





筑波山 (つくばさん)  大御堂 (おおみどう)       通称 大御堂観音

〔所在地〕 (常陸国)  茨城県つくば市筑波748

〔宗派〕 真言宗豊山派

〔開基〕 徳溢法師 (とくえつほうし)

〔創建〕 延暦元年 (782)

〔御本尊〕 千手観世音菩薩

〔御真言〕 おん ばざら たらま きりく


筑波山神社随神門 (旧仁王門)



〔略縁起〕 寺伝によれば、延暦元年(782)徳溢法師によって開かれ、弘仁年間(810~824)弘法大師によって真言密教の霊場となった。 これが知足院中禅寺で、神仏習合の山岳仏教の霊場として栄えた。 鎌倉時代には常陸守護の八田知家の子、為氏が筑波氏を称し、のち出家して明玄となり、この寺の別当をつとめて隆盛を示した。 応永5年(1398)には落雷で堂塔を失った。 江戸時代に入り、徳川家の庇護を受けて中興。 三代将軍家光は三重塔、鐘楼、楼門を寄進するなど幕府の崇敬もあり、寺領千五百石の寺格を有し、18支院、300の住僧を数える大寺となり大いに栄えた。
 しかし、明治の神仏分離と廃仏毀釈で堂塔は破壊され、廃寺同然となる。 仁王門からは金剛力士像が取り去られ、筑波山神社の随神門とされてしまった。 わずかに本尊の千手観音像だけは破却を免れた。 寺院再興の決定がなされたのは昭和5年、その後仮堂が建てられた。 現在の本堂は、昭和36年に民家を改修して再建されたもの。



筑波山神社拝殿



筑波山神社 (つくばさんじんじゃ)

〔鎮座地〕 茨城県つくば市筑波1

〔社格〕 旧県社  常陸国筑波郡の式内社・筑波山神社二座(名神大・小)

〔御祭神〕 筑波男大神(つくばおのおおかみ) = 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
       筑波女大神(つくばめのおおかみ) = 伊弉冉尊(いざなみのみこと)

〔由緒沿革〕 筑波山頂の東西二峯に筑波男神、筑波女神二座を拝し、御神体山と仰いだ。 『常陸国風土記』、『万葉集』、『古今集』に見られる筑波山神の信仰は著しく、弘仁一四年官社と為り延喜の制、男神は名神大(従三位)、女神は名神小(正四位下)に列せられる。 筑波国造奉仕。 中世神仏習合となり慶長五年徳川家康は江戸城鎮護の霊山と崇め、春秋両度御座替祭を斎行、寛永一〇年将軍家光は神祠、堂舎を寄進改築せり。 歴代将軍尊崇篤く社領千五百石、別当、知足院改め護持院となりて明治に至る。 明治六年一〇月県社に列す。 (神社本庁別表神社)
-『神社名鑑』から-



御本尊の御影




御住職の法話

     六観音さま

 三十三観音札所は観音さまの三十三身応現の数にあわせた信仰であります。 ですが白衣観音とか瀧見観音とか魚藍観音さまなどの「三十三観音」の信仰とは別のものであります。 すなわち各札所のご本尊さまは聖・十一面・千手・馬頭・如意輪・准胝あるいは不空羂索の観音のうちの一尊をおまつりしているのです。
 当寺のご本尊さまは千手観音さまです。 千本の手を持っておられるわけですが、一本の手で二十五本の手を代表しているお姿もあります。 この多くの手はわたしたちを幸せにしてくださるために、その人、その人に応じたいろいろな方法手段を観音さまが用意しておられるためのお姿なのです。 たしかにこれだけ多くの手ですと一度に何人でも救っていただけるわけで、まことに有難いことです。
 それにこの千本の手には一つずつ眼がありますので、そのどれかの眼で見守っていてくださると思うと、とても安心です。 ですから拝んでいても千本の手が少しも不思議ではありません。 坂東では十一面観音さまが十四ヶ寺、次いで千手観音さまが十二ヶ寺と多いのも、この千手観音さまを心から頼みにしている証拠でしょう。
-『板東三十三所観音巡礼』から-




納経帳

    〔御墨書〕    「筑波山」
              梵字「キリク」   「大悲殿」
              「大御堂」

    〔御朱印〕    「坂東二十五番」
              火焔宝珠の中に、千手観音の種子「キリク」
              「筑波山大御堂」





千手観音の種子「キリク」





        大御堂  かねは筑波の  峯にたて
                       かた夕暮れに  くにぞこひしき




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