2013年08月31日

第26番札所 清瀧観音


坂東三十三ヶ所 第26番札所 清瀧観音





南明山 (なんめいさん)  清瀧寺 (きよたきじ)     通称 清瀧観音

〔所在地〕 (常陸国)  茨城県土浦市大字小野1151

〔宗派〕 真言宗豊山派

〔開基〕 行基菩薩 (ぎょうきぼさつ)

〔創建〕 推古天皇15年 (607)

〔御本尊〕 聖観世音菩薩

〔御真言〕 おん あろりきゃ そわか





〔略縁起〕 寺伝によれば、推古天皇の勅願により聖徳太子御作の聖観音像を龍ヶ峰に安置したのが始まりと言われる。 後に、行基菩薩が龍ヶ峰の滝で行をおこない、自ら観音像を彫り山頂の滝口に安置したとも伝わる。 さらに後、花山法皇が老人や幼子にも縁が結ばれるようにと願ったことから、徳溢法師が、堂を不便な山頂から山の中腹に移転したとの伝承もある。
 鎌倉時代には幕府の功臣八田知家の庇護のもとに栄えた。 天正年間(1573~1592)の兵火で七堂伽藍の大堂宇を焼失するも、元禄年間(1688~1701)に、現在地へ本堂が再建された。
 しかし、明治の神仏分離と廃仏毀釈の影響を受けて寺運は急速に衰えた。 寺は無住となるが、小野の村人たちが輪番でこれをささえてきた。 しかし昭和44年、不審火により仁王門のみを残して焼失、御本尊も失われてしまう。
 現在の本堂は昭和52年に地元の人々の篤志でようやく再建されたもの。 新しい御本尊の聖観音像は、23番札所観世音寺のご住職より寄進され、昭和54年に開眼された。 寺は現在も無住だが、地元の人々が寺を管理し、老人会有志が納経所奉仕を行なって、札所としての歴史を伝えている。


御本尊の御影




御住職の法話

      桃咲く里で                 清瀧寺住職 古幡章善

   今もなお 人の心の変らずや
       桃咲く里の 清瀧の寺

 どなたかが、そっとご本尊にお供えしてゆかれた歌です。 清瀧寺に参られた時、何か心に感じて帰られたのでしょう。
 この寺は、近年災難が相続きましたが、多くの方々のご協力を得て、旧に増して整えることができました。
 寺も、お人の暮しも、整うというのは建物だけではありません。
 ご本尊にご奉仕する者一同、
「人の心の変らずや・・・・・・」
 という問いかけに、
「桃咲く里の清瀧寺にまたお参りください。 里人の心は今も変わりありませんよ」
と申し上げられる寺であり続けたいと念願いたしております。
-『板東三十三所観音巡礼』から-




納経帳

    〔御墨書〕      「南明山」
                「聖観世音」
                「清滝寺」

    〔御朱印〕      「坂東二十六番」
                「佛法僧寶」
                「清瀧」




聖観音の種子「サ」





          わが心  今より後は  にごらじな
                         清瀧寺へ  詣る身なれば




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