2013年09月07日

第27番札所 飯沼観音


坂東三十三ヶ所 第27番札所 飯沼観音





飯沼山 (いいぬまさん)  圓福寺 (えんぷくじ)      通称 飯沼観音 (銚子観音)

〔所在地〕 (下総国)  千葉県銚子市馬場町293

〔宗派〕 真言宗

〔開基〕 弘法大師

〔創建〕 神亀5年 (728)

〔御本尊〕 十一面観世音菩薩

〔御真言〕 おん まか きゃろにきゃ そわか





〔略縁起〕 『坂東霊場記』によれば、神亀5年(728)二人の漁師が光り輝く海から十一面観世音菩薩を網ですくい上げ、仮堂を造って安置し、出家して寺を守ったという。 のちに弘法大師が訪れて本尊の蓮座を造り、さらに土地の豪族海上(うなかみ)長者が大師の高徳を慕ってこの本尊に深く帰依し、大伽藍を建立したと伝わる。
 鎌倉から足利時代にかけては、千葉氏同族の海上氏(うなかみし)の保護のもとに、十ヶ坊を有する大寺院となり、坂東観音霊場の札所として栄えた。 天正19年(1591)、徳川家康より朱印を賜わり諸堂を整備し、十間四面の大本堂が造営された。 このお堂が戦災前まで広壮な姿を見せていたのは人のよく知るところである。
 昭和20年に空襲に遭い、本坊客殿以外のすべての堂宇を焼失した。 観音堂の再建は、昭和46年に衆庶の信助によって竣功され、平成21年には五重塔が建立された。



奥の院 満願寺



 圓福寺から南東約4kmの景勝地・犬吠埼の近くには、奥の院・満願寺がある。
 満願寺は圓福寺の御本尊十一面観世音菩薩の写しの尊像を奉安し、坂東札所巡りの巡礼が中心になり、満願成就した報恩感謝のために昭和51年に開創されたもの。  現在は27番飯沼観音・圓福寺の奥の院となっている。



御本尊の御影





御住職の法話

     観音信仰の奇跡              円福寺住職 平幡良雄

 現観音堂完成間近のこと、二十日ほど前から湯水も喉を通らず危い状態であった観音地内入口の砂場食堂のおじいさん宅から、すぐ来て欲しいと連絡を受けました。 急いで行くと、当時竣工間際だった観音堂再建工事が心配だったようで、半紙に大きく「観音さまをお願いします」と私宛の遺言状がありました。 翁はすでに死相を呈していました。 「観音さまがお守りくださるから大丈夫ですよ」と励まし、寺へ戻って病気平癒の御護摩を奉修、お札を翁の枕元に安置しました。 翁は戦火で焼失したお堂再建に最も熱心な総代で、長い間私を励まし慰めてくださった一生の恩人です。 この恩人を救えるのは観音さましかいない、信仰あつい恩人をお救いくださいと祈念したのでした。
 私が終生忘れることのできない驚くべき奇跡が起こったのはそれからです。 翁は翌日湯水も少し通るようになり少し持ち直しました。 それから一月ほどで一応全快、部屋の中を歩けるまでに回復したのです。 観音さまの御加護で信仰深い翁は守られたのでした。
 飯沼観音は古来より家運長久、息災延命、福智増長、求子安産など諸々の善願成就すること、谷の響きに応ずるが如し、と尊信されています。
-『板東三十三所観音巡礼』から-




納経帳

    〔御墨書〕      「奉拝」  「銚子港」
                梵字「キャ」  「十一面観世音」
                「飯沼山」

    〔御朱印〕      「坂東第廿七番」
                「佛法僧寶」
                「飯沼山圓福寺納経所」




十一面観音の種子「キャ」





         このほどは  よろずのことを  飯沼に
                          きくもならはぬ  波の音かな




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