2013年10月02日

能登国一宮 氣多大社


能登国一宮
氣多大社
 (けたたいしゃ)





能登国一宮  氣多大社 (けたたいしゃ)

〔鎮座地〕 石川県羽咋市寺家町ク-1

〔社格〕 旧国幣大社  能登国羽咋郡の式内社・気多神社 (名神大)

〔御祭神〕 大国主神 (おおくにぬしのかみ) = 大己貴命 (おおなむちのみこと)

〔御由緒〕 創祀は詳らかではないが、大国主神が能登地方を平定・開拓した由縁により、能登半島の玄関口であるこの地に鎮まったものとされる。 『万葉集』に、大伴家持が越中守として「気太神宮」を参詣して詠んだ「之乎路から直越え来れば羽咋の海 朝凪ぎしたり船楫もがも」がある。
 ご神威は早くより朝廷に知られており、『延喜式』に名神大社としてその名が記され、神階は貞観元年(859)に従一位となるなど、古くより朝廷や国司、武家の崇敬を集めた北陸地方屈指の大社である。
 前田利家ほか歴代の金沢藩主も当社を庇護し、たびたび社領などが寄進された。 現在の拝殿は入母屋造、本殿は流造でともに重要文化財に指定されている。 本殿裏手には一万坪の原生林「入らずの森」(国天然記念物)が広がり、神職でも年一度しか入らない神聖な場所である。
 明治四年国幣中社、大正四年に国幣大社へ昇格した。
-『全国一の宮めぐり』から-



              神門                            拝殿












        若宮神社               本殿                白山神社


摂社 若宮神社   〔御祭神〕 事代主命
本殿   〔御祭神〕 大国主神
摂社 白山神社   〔御祭神〕 菊理姫命


        楊田神社              太玉神社              菅原神社


楊田神社   〔御祭神〕 荒御魂神
太玉神社   〔御祭神〕 太玉命
菅原神社   〔御祭神〕 菅原道真


       奥津島神社          養老大黒像奉安殿           入らずの森




正覚院 (旧気多神社神宮寺)


正覚院
 当山は、気多神社の神宮寺(別当寺)として創建され、元正天皇御代養老二(718)年に越前の大徳泰澄大師が、夢想のお告げから一堂を建立したと伝えられている。
 その後、文徳天皇の斉衡二(855)年に亀鶴蓬莱山気多太神宮寺の勅号を給い、同時に「常住の僧を置き、出家の定数を三人と認めるから、永久に絶やすことのないように」との指令が出される。 (文徳実録)
 以来、一千有余年神社に奉仕してきたが、明治の神仏分離令により、直接の関係を絶つ。 しかし今でも神仏混淆当時の面影を残し、もと本殿奉安「八咫の神鏡」を初め、開かずの宮といわれる護摩堂本尊「不動明王」、重文「阿弥陀如来」など多くの寺宝を秘蔵する。   山主敬白
-正覚院案内板から-



赴参氣太神宮行海邊之時作歌一首
之乎路可良 多太古要久礼婆 波久比能海 安佐奈藝思多理 船梶母我毛


     之乎路から  直越え来れば  羽咋の海
               朝凪ぎしたり  船楫もがも          大伴家持

-『万葉集』巻17 4025-





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