2013年11月30日

第32番 清水観音


坂東三十三ヶ所 第32番札所 清水観音





音羽山 (おとわさん)  清水寺 (きよみずでら)       通称 清水観音

〔所在地〕 (上総国) 千葉県いすみ市岬町鴨根1270

〔宗派〕 天台宗

〔開基〕 慈覚大師円仁 (じかくだいしえんにん)

〔創建〕 大同2年 (807)

〔御本尊〕 千手観世音菩薩

〔御真言〕 おん ばざら たらま きりく





〔略縁起〕 寺伝によれば延暦年間(782~806)、伝教大師最澄がこの地を巡錫中に熊野権現に導かれて庵を結び観音像を感得した。 後に、慈覚大師円仁が最澄ゆかりの地に師の志をつぎ、楠の霊木で千手観音像を刻んで安置した。 大同2年(807)、坂上田村麻呂が堂宇を建立して祀ったという。
 京都の清水寺(西国16番札所)と山号・寺号とも同じ、どちらも坂上田村麻呂にまつわる伝承がある。 これに播州清水寺(西国25番札所)を加えて、「日本三清水」といわれる。



御本尊の御影




御住職の法話

     景清身代り観音               清水寺住職 井上享海

 当山にはよく知られた千手、十一面の両観世音のほかに、景清身代わり観世音が安置されています。 お名前のみでその由来などあまり知られておりませんが、由緒あるお像です。
 御名の因となった平景清は、上総国布施の産、笠松右衛門景高の息で、伯父大日坊殺害のため悪の一字を冠せられ悪七兵衛景清と呼ばれた平家の勇者でした。 弱年より観世音を信仰し、日夜誦経を怠らなかったと申します。
 源平の戦に平氏は敗れ、景清虜となって三尺の詰牢に押しこまれましたが、信心いよいよ強くお経を念じて怠ることありませんでした。 時に「景清の首打って直見に仰えよ」との頼朝公の仰せあり、御前に差し出されたその首を頼朝公がご覧じなされると、こはいかに景清の首にあらず、勿体なくも観世音の御首でございました。 頼朝公大いに驚かれ、「景清や如何に」と尋ねれば、景清牢中にて一心に経を唱えていたということでございます。 かくて、悪七兵衛景清、日頃信心せし観世音の宏大なるお慈悲により、この身を解き放たれたのでございました。
 ただいま当山にございます身代り観世音像は、この時のままの御首と両の御手のみのお姿ながら、なおも優しい笑みを浮かべて広く衆生をご覧になっておられます。 あまりにおいたわしいお姿なので、ただいまは秘仏として厨子にお納めし、非公開とさせていただいております。
-『板東三十三所観音巡礼』から-




納経帳

     〔御墨書〕     「上総國」
                梵字「キリク」  「大悲殿」
                「清水寺」

     〔御朱印〕     「坂東三十二番」
                蓮華宝珠の中に、千手観音の種子「キリク」
                「上総國音羽山清水寺」





千手観音の種子「キリク」




        濁るとも  千尋の底は  澄みにけり
                           清水寺に  結ぶ閼伽桶




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