2025年05月16日
2025年03月22日
2025年02月26日
遠刈田こけし
遠刈田系 佐藤静助 7寸(21.0cm) 昭和13年作
一筆目 三角胴 四段重ね菊 緑色ロクロ線

佐藤静助(さとうせいすけ)
明治34年9月15日生。昭和14年2月11日没。39歳
遠刈田系 周治郎系列
師匠:佐藤周吾・佐藤豊治 弟子:佐藤照雄・佐藤守正
明治34年9月15日生。昭和14年2月11日没。39歳
遠刈田系 周治郎系列
師匠:佐藤周吾・佐藤豊治 弟子:佐藤照雄・佐藤守正
深沢要は『こけしの追求』の中で、静助のこけしを手にして「迷子でも出てきたように喜んでいる。何と明るく、豊かなキボコではないか。」と記述している。
このこけしが蒐集家の手に渡るようになって1年たたずに静助は亡くなったため、残る作品は昭和13年7月から翌14年の初めまでの約半年間のものだけである。
深沢要の聞書きによると、こけしは父周吾の作風に従っているといい、小寸作りつけも、7寸以上の作もすべて一筆目で古風である。大正初期の遠刈田の作風を伝えていると思われる。
佐藤静助は周治郎家の直系でありその作品が残ったと言うのは幸いであった。
長い休止期間をおいて再開した静助のこけしには、古い遠刈田の様式が保たれていたと思われる。
本こけしは北原直喜著 童宝舎コレクション図集『こけし綴り』の掲載品である。
このこけしが蒐集家の手に渡るようになって1年たたずに静助は亡くなったため、残る作品は昭和13年7月から翌14年の初めまでの約半年間のものだけである。
深沢要の聞書きによると、こけしは父周吾の作風に従っているといい、小寸作りつけも、7寸以上の作もすべて一筆目で古風である。大正初期の遠刈田の作風を伝えていると思われる。
佐藤静助は周治郎家の直系でありその作品が残ったと言うのは幸いであった。
長い休止期間をおいて再開した静助のこけしには、古い遠刈田の様式が保たれていたと思われる。
本こけしは北原直喜著 童宝舎コレクション図集『こけし綴り』の掲載品である。
2025年02月13日
鳴子こけし
鳴子系 遊佐福寿 1尺
普通型 29.7㎝ 昭和48年10月作
普通型 29.7㎝ 昭和48年10月作

遊佐福寿(ゆさふくじゅ)
鳴子系・利右衛門系列・勘治系
師匠:高橋盛 弟子:遊佐寿彦
昭和5年3月17日生 平成13年1月25日没 70歳
鳴子系・利右衛門系列・勘治系
師匠:高橋盛 弟子:遊佐寿彦
昭和5年3月17日生 平成13年1月25日没 70歳
私のこけし蒐集最初の一本
学生時代、陸奥一人旅で出逢った鳴子こけし
鳴子は「こけしは鳴子に始まって、鳴子に終わる」と言われるこけしの聖地
当時は第二次こけしブームとあって鳴子は大盛況
中でも遊佐福寿は鳴子一番の人気者
「福寿の店」に入ると沢山のこけしが並んでいるのだが、
福寿のこけしは一本も見当たらない
店番をしていた奥様に尋ねてみると、
奥の部屋から造り置きの一本を持ってきてくれた
それがこのこけし、鳴子の一般型(普通型)である
当時、手に入れることすら困難な福寿のこけし
蒐集最初の一本になったことは、この上もなく幸運なことであった
学生時代、陸奥一人旅で出逢った鳴子こけし
鳴子は「こけしは鳴子に始まって、鳴子に終わる」と言われるこけしの聖地
当時は第二次こけしブームとあって鳴子は大盛況
中でも遊佐福寿は鳴子一番の人気者
「福寿の店」に入ると沢山のこけしが並んでいるのだが、
福寿のこけしは一本も見当たらない
店番をしていた奥様に尋ねてみると、
奥の部屋から造り置きの一本を持ってきてくれた
それがこのこけし、鳴子の一般型(普通型)である
当時、手に入れることすら困難な福寿のこけし
蒐集最初の一本になったことは、この上もなく幸運なことであった
2025年02月05日
自作ナイフ
自作のフォールディングナイフ
(ガーバー・サカイ 自作キット)
(ガーバー・サカイ 自作キット)
今から35年程前、ナイフが好きでした
岐阜県関市にあるガーバー・サカイによく通っていた
ガーバー・サカイで手に入れた自作キットです
かしめて組み立て、削って削って、磨いて磨いて、そしてまた磨く
上は1992年の作 下は1991年の作
今でも使用しています
普段持ち歩けば銃刀法違反になる
釣りに行く時にしか使わない
家ではペーパーナイフ代わりに重宝しています
金属の撮影は超難しい
光って テカって 反射して、
鏡のように自分の姿が写り込むこともある
100枚位撮ってこの程度
岐阜県関市にあるガーバー・サカイによく通っていた
ガーバー・サカイで手に入れた自作キットです
かしめて組み立て、削って削って、磨いて磨いて、そしてまた磨く
上は1992年の作 下は1991年の作
今でも使用しています
普段持ち歩けば銃刀法違反になる
釣りに行く時にしか使わない
家ではペーパーナイフ代わりに重宝しています
金属の撮影は超難しい
光って テカって 反射して、
鏡のように自分の姿が写り込むこともある
100枚位撮ってこの程度
2025年01月27日
物産展
宮城県の観光と物産展
新山吉紀・真由美工人
本日、名鉄百貨店で開催されている「宮城県の観光と物産展」で遊んできました
催場では宮城県の名産品・工芸品の各店が並び、即売コーナーは大盛況であった
特に牛たんコーナーには多くの人が列をなす程の人気である
私のお目当ては伝統こけしのコーナーである
今回も弥治郎系のこけしが中心に展示され、昨年同様弥治郎系こけし工人の新山吉紀・真由美夫妻が来名されていた
吉紀工人は雛こけしの絵付けの実演もされ、こけし界の現況についても貴重なお話を伺うことができた
真由美工人からはご子息の新山匠太工人の現況について、本職が忙しくこけし作製は休止中とのお話を伺った
こけし蒐集家としてこの様に直接こけし工人からお話しを聞くことが出来たのは貴重な経験である
その後、飲食コーナーで仙台名物のずんだ餅をいただいた
雛こけしの描彩をする新山吉紀工人 展示された弥治郎こけし
-新山吉紀・真由美両工人からの承諾を得て掲載しました-
2025年01月18日
倭姫命
倭姫命 (やまとひめのみこと)
倭姫命(やまとひめのみこと)は、第十一代垂仁天皇の皇女で、垂仁天皇二十五年三月に天照大神を伊勢の地(現在の伊勢神宮)に皇大神宮をご創設され、斎宮の起源となった人物である。
倭姫命は、第十一代垂仁天皇の皇女です。第十代崇神天皇の皇女豊鍬入姫命の後を継いで、「御杖代(みつえしろ)」として天照大神に奉仕され、天照大神を載いて大和国をお発ちになり、伊賀・近江・美濃などの諸国を経て、伊勢の国に入られて、御神慮によって、皇大神宮をご創設されました。
「御杖代」とは天照大神の御杖となって、御神慮を体して仕えられるお方の意です。倭姫命から後、代々の天皇は未婚の皇女を伊勢に遣わして天照大神に奉仕させられましたが、このお方を斎王(いつきのみこ)と申し上げます。
命は皇大神宮御鎮座ののち、神嘗祭をはじめとする年中の祭りを定め、神田並びに各種のご料品を奉る神領を選定し、禰宜、大物忌以下の奉仕者の職倭姫掌を定め、斎戒や祓の法を示し、神宮所属の宮社を定められるなど、神宮の祭祀と経営の基礎を確立されました。
後に第十二代景行天皇の五百野皇女に後を継がせ、東夷の討伐に向かう日本武尊(尊は倭姫命の甥王にあたる)に草薙剣を授けている。伊勢では、伊勢の地に薨じ、尾上御陵(おべごりょう)に埋葬されたと伝える。伊勢の地で天照大神を祀る最初の皇女と位置づけられ、これが制度化されて後の斎宮となった。
倭姫宮 (やまとひめのみや)
倭姫宮表鳥居 倭姫宮拝殿・本殿
-2010年11月撮影-
倭姫宮(やまとひめのみや)
創建年代 大正12年(1923)11月5日
鎮座地 三重県伊勢市楠部町5
御祭神 倭姫命(やまとひめのみこと)
倭姫宮は、皇大神宮(内宮)の別宮で、おまつりする神様は倭姫命(やまとひめのみこと)です。
倭姫命は天照大神の御神教(みおしえ)をうけて約二千年前に、五十鈴川の川上、現在の場所に皇大神宮をご創建されました。
大きなご功績をお遺しになられた命の御徳をお慕いして、大正の初年から神宮司庁と宇治山田市(現在の伊勢市)が命をまつるお宮の創建を請願してきましたが、大正十年一月四日、皇大神宮別宮として倭姫宮のご創立が許可され、同十二年十一月五日に御鎮座祭が執り行われました。
神宮には、別宮・摂社・末社・所管社の諸宮社があり、ご由緒は極めて古く、奈良時代以前に遡るものが多いのですが、倭姫宮は、創立が極めて新しいのです。
-倭姫宮御杖代奉賛会HPから-
倭姫命人形
上掲倭姫命人形は昭和5年に三重県宇治山田市で開催された『御遷宮奉祝神都博覧会』の協賛会の記念品である。
伊勢神宮に最も所縁のある人物として相応しい倭姫命が選ばれたのだろう。
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)に宝剣(草薙剣)を授け賜う倭姫命のお姿を表した木目込み人形(ガラスケース入)である。
景行天皇の御代、日本武尊が東征の折に伊勢神宮に参拝し、叔母の斎宮倭姫命から神宝草薙剣を授けられるという『記紀』に載る有名な物語の一場面である。
御遷宮奉祝神都博覧会の歴史館では同場面のジオラマも展示され、絵葉書も発行された。
歴史館ジオラマの絵葉書

御遷宮奉祝神都博覧会
御遷宮奉祝神都博覧会鳥瞰図 吉田初三郎作

昭和4年秋の伊勢神宮遷宮のあとを受けて、全国から新造の神宮参拝が増加するのを機に神宮周辺を神都とする構想もあり、奉祝記念事業としても、観光振興の好機と開催。会場は宇治山田市の度会郡役所跡で、正面中央に本館、農林館、国産館が主要パビリオンとして建てられ、国産館内部には3府32県からの出品が展示された。御大典に使用された御物や勲章などを陳列した御物館や、神代からの歴史を18面のジオラマにした歴史館がつくられた。これは大礼記念館と合わせて神都記念館として閉会後も遺された。また、大阪の朝日新聞社と毎日新聞社が展示スペースを設け、電光ニュースや活動写真を上映するなど両社が競って気を吐いた。一方、北海道館、樺太館、台湾館、朝鮮館、満蒙館などが単独の展示館として出展した。このほか有料の御遷宮記念館では遷宮の状況や神宮の由緒をジオラマで見せた。名物館では江戸時代の伊勢参りの様子を再現し、名勝館では伊勢近辺の景色を段返し式キネオラマで見せた。演芸館は地元芸妓連の伊勢音頭や七福神踊りを上演して賑わった。また、場内イベントとして実際の宇治橋の模型橋が作られ、昔の投げ銭の風俗を体験させた。不況下にもかかわらず、72万人が入場した。
-博覧会資料COLLECTION HPから-
中央噴水塔 北海道館


いかばかり 涼しかるらん 仕へきて
御裳濯川を 渡る心は 西行
いすず川 影見る水も 底すみて
神代おぼゆる 峯の杉むら 本居宣長
2024年04月26日
2023年10月13日
海上釣堀 辨屋
10月13日 晴 (大潮)
三重県度会郡南伊勢町礫浦
海上釣堀 辨屋
三重県度会郡南伊勢町礫浦
海上釣堀 辨屋
〔閑人の釣果〕 12
シマアジ 3 (シラサ2・ダンゴ1)
マダイ 6 (シラサ2・ダンゴ2・アマエビ2)
イサキ 3 (シラサ2・ダンゴ1)
シマアジ 3 (シラサ2・ダンゴ1)
マダイ 6 (シラサ2・ダンゴ2・アマエビ2)
イサキ 3 (シラサ2・ダンゴ1)
2023年07月10日
2023年05月15日
2023年03月23日
2023年02月04日
2022年12月09日
2022年11月09日
でくのぼう
木偶乃坊こけし
南部系 キナキナこけし
煤孫盛造 6寸
南部系 キナキナこけし
煤孫盛造 6寸

外套に帽子をかぶった宮沢賢治の姿
岩手県花巻の伝統こけしと郷土の偉人の姿が融合する
作者は南部系キナキナこけし工人の煤孫盛造(すすまごもりぞう)
名付けて「木偶乃坊(でくのぼう)こけし」
宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」でお馴染みのデクノボー(木偶の坊)
木偶の坊とは、人形・あやつり人形・役に立たない人・気のきかない人を意味する
又、東北地方ではこけしを「でくのぼう」と呼ぶこともある
花巻農学校教諭時代の宮沢賢治の写真が残されている
帽子をかぶり田の中に立ち地面を見つめる姿
その賢治の姿を表現したロクロ木地のオブジェ
煤孫こけし三代目煤孫盛造が考案した新意匠のデザイン
花巻の風土と伝統の匠の技が生み出す郷土色豊かな素朴なこけし
本こけしは山梨材を使った17.8cm(6寸)の作品
岩手県花巻の伝統こけしと郷土の偉人の姿が融合する
作者は南部系キナキナこけし工人の煤孫盛造(すすまごもりぞう)
名付けて「木偶乃坊(でくのぼう)こけし」
宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」でお馴染みのデクノボー(木偶の坊)
木偶の坊とは、人形・あやつり人形・役に立たない人・気のきかない人を意味する
又、東北地方ではこけしを「でくのぼう」と呼ぶこともある
花巻農学校教諭時代の宮沢賢治の写真が残されている
帽子をかぶり田の中に立ち地面を見つめる姿
その賢治の姿を表現したロクロ木地のオブジェ
煤孫こけし三代目煤孫盛造が考案した新意匠のデザイン
花巻の風土と伝統の匠の技が生み出す郷土色豊かな素朴なこけし
本こけしは山梨材を使った17.8cm(6寸)の作品
「煤孫こけし」は祖父茂吉、父実太郎、私盛造と三代にわたって伝承されてまいりました。このこけしは、伝統こけし南部系(花巻系)に属し無彩色で頭がクラクラ動くのを特徴としております。
昔、乳児のおしゃぶりとして与えれていた、頭が小さく胴の下部がくびれたこけしをはじめ胴の上部がくびれたこけし等を造っております。また、牡丹の花を絵付けしたこけしもございます。これらのこけしは、この地方でキックラボッコキナキナボッコの方言で呼ばれております。
材料は、主にコサンバラ(モチノ木科アオハダ・白い木目の見えない木)を使用します。その他ケヤキ・エンジュ・タモ・サクラ・ヤマガ・クワ等を使います。木目の美しいケヤキなどを使用したこけしは、頭と胴を一本の木から作りますので木目がピッタリと合いますように造って居ります。
この「木偶乃坊こけし」は岩手の山々に育まれた木々を素材にして造られております。木々の種類により木肌の色合い木目の違いがありますので一つ一つこけしの雰囲気が異なっております。このこけしにそれぞれの賢治の世界を想い描いて楽しんで頂ければ幸いと存じます。
-「工房 木偶乃坊」HPから-
2022年11月05日
一寸こけし
佐藤英次 1寸
寸法2.9cmの小寸ながら、典型的な遠刈田系のこげすの形態を呈している
肩のこけた造り付けの胴には襟描きの梅模様
つぶし目に割れ鼻でちょぼ口の面相、頭は古風な蝶形手柄
作者は遠刈田系周治郎系列の佐藤(朝倉)英次(当時22歳位)
昭和8年頃の遠刈田温泉北岡商店の豆こけしである
鈴木鼓堂コレクション『愛玩鼓楽』1376番の現品
肩のこけた造り付けの胴には襟描きの梅模様
つぶし目に割れ鼻でちょぼ口の面相、頭は古風な蝶形手柄
作者は遠刈田系周治郎系列の佐藤(朝倉)英次(当時22歳位)
昭和8年頃の遠刈田温泉北岡商店の豆こけしである
鈴木鼓堂コレクション『愛玩鼓楽』1376番の現品
2022年10月22日
海上釣堀 はさま浦釣り堀センター
10月22日 晴 (中潮)
三重県度会郡南伊勢町迫間浦
海上釣堀 はさま浦釣り堀センター
三重県度会郡南伊勢町迫間浦
海上釣堀 はさま浦釣り堀センター
〔閑人の釣果〕 4
カンパチ 1 (活アジ)
ワラサ 1 (活アジ)
マダイ 2 (アオムシ・シラサ)
カンパチ 1 (活アジ)
ワラサ 1 (活アジ)
マダイ 2 (アオムシ・シラサ)
2022年09月17日
2022年06月24日
2022年05月20日
海上釣堀 辨屋
5月20日 曇 (中潮)
三重県度会郡南伊勢町礫浦
海上釣堀 辨屋
三重県度会郡南伊勢町礫浦
海上釣堀 辨屋
〔閑人の釣果〕 8
ヒラマサ 2 (活きアジ・コウナゴ)
カンパチ 1 (シラサ)
マダイ 5 (ダンゴ2・シラサ2・コウナゴ1)
ヒラマサ 2 (活きアジ・コウナゴ)
カンパチ 1 (シラサ)
マダイ 5 (ダンゴ2・シラサ2・コウナゴ1)