2012年12月01日

石上神宮


石上神宮 (いそのかみじんぐう)





石上神宮 (いそのかみじんぐう)

〔鎮座地〕 奈良県天理市布留町384

〔社格〕 旧官幣大社 大和国山邊郡の式内社・石上坐布都御魂神社(名神大 月次・相嘗・新嘗)

〔御祭神〕 布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ) = 平国之剣の御霊威
       布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ) = 天璽十種瑞宝の御霊威
       布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ) = 天十握剣の御霊威

〔配祀神〕 五十瓊敷命(いにしきのみこと)
       宇麻志麻治命(うましまじのみこと)
       白河天皇(しらかわてんのう)
       市川臣命(いちかわのおみのみこと)

〔御由緒〕 石上神宮は、大和盆地の中央東寄り、龍王山(りゅうおうざん)の西の麓、布留山(ふるやま・標高266メートル)の北西麓の高台に鎮座し、境内はうっそうとした常緑樹に囲まれ、神さびた自然の姿を今に残しています。北方には布留川が流れ、周辺は古墳密集地帯として知られています。
 当神宮は、日本最古の神社の一つで、武門の棟梁たる物部氏の総氏神として古代信仰の中でも特に異彩を放ち、健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきました。
 御祭神は、神武天皇御東征の砌、国土平定に偉功をたてられた天剣(平国之剣・くにむけしつるぎ)とその霊威を布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)、鎮魂(たまふり)の主体である天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)の起死回生の霊力を布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)、素盞嗚尊(すさのおのみこと)が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治された天十握剣(あめのとつかのつるぎ)の霊威を布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)と称え、総称して石上大神(いそのかみのおおかみ)と仰ぎ、第十代崇神天皇七年に現地石上布留(ふる)の高庭(たかにわ)に祀られました。 古典には「石上神宮」「石上振神宮」「石上坐布都御魂神社」等と記され、この他「石上社」「布留社」とも呼ばれていました。
 平安時代後期、白河天皇は当神宮を殊に崇敬され、現在の拝殿(国宝)は天皇が宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進されたものと伝えています。
 中世に入ると、興福寺の荘園拡大・守護権力の強大化により、布留川を挟み南北二郷からなる布留郷を中心とした氏人は、同寺とたびたび抗争しました。 戦国時代に至り、織田尾張勢の乱入により社頭は破却され、壱千石と称した神領も没収され衰微していきました。 しかし、氏人たちの力強い信仰に支えられて明治を迎え、神祇の国家管理が行われるに伴い、明治四年官幣大社に列し、同十六年には神宮号復称が許されました。
 当神宮にはかつては本殿がなく、拝殿後方の禁足地(きんそくち)を御本地(ごほんち)と称し、その中央に主祭神が埋斎され、諸神は拝殿に配祀されていました。 明治七年菅政友(かんまさとも)大宮司により禁足地が発掘され、御神体の出御を仰ぎ、大正二年御本殿が造営されました。
 禁足地は現在も「布留社」と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれ、昔の佇まいを残しています。
-『石上神宮ご由緒のしおり』から-



          拝殿  -国宝-                  楼門  -重要文化財-











拝殿 (現存する最古の拝殿)  -国宝-
  
 叢林のなかに建立する朱の拝殿は、永保元年(1081)当神宮への御崇敬が深かった白河天皇が、特殊神事である鎮魂祭のために、宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進されたものと伝わっています。 建築様式の上では鎌倉時代初期の建立と考えられていますが、いずれにしても拝殿としては現存最古のものであり、国宝に指定されています。 先人達より今日に至るまで連綿と祭祀が続いています。

楼門  -重要文化財-
 鎌倉時代末期、後醍醐天皇の文保二年(1318)に建立され、重要文化財に指定されています。 往古は上層に鐘を吊していましたが、明治初年神仏分離令によりとりはずされました。 二重の正面に掲げてある木額の「萬古猶新(ばんこゆうしん)」の書体は明治・大正の元老として有名な山縣有朋の筆によるもので、御神徳の永遠の働きを意味しています。
-『境内案内』から-


〔摂社〕


           出雲建雄神社                   出雲建雄神社拝殿 -国宝-











摂社 出雲建雄神社(いずもたけおじんじゃ)   式内社・出雲建雄神社
〔御祭神〕 草薙剣(くさなぎのつるぎ)の荒魂(あらみたま)
 延喜式内社で、草薙剣(くさなぎのつるぎ)の荒魂(あらみたま)である 出雲建雄神(いずもたけおのかみ)をお祀りしています。
 江戸時代中期に成立した縁起には、天武天皇(てんむてんのう)の御代に御鎮座になった由がみえます。 それによると、布留邑智(ふるのおち)という神主が、ある夜、布留川の上に八重雲が立ちわき、その雲の中で神剣が光り輝いている、という夢を見ました。 明朝その地に行ってみると、8つの霊石があって、神が 「吾は尾張氏の女が祭る神である。今この地に天降(あまくだ)って、皇孫を保(やすん)じ諸民を守ろう」と託宣されたので、神宮の前の岡の上に社殿を建ててお祀りしたということです。
 江戸時代には、 出雲建雄神は当神宮の御祭神 布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)の御子神と考えられ、そのため 「若宮(わかみや)」と呼ばれていました。
例祭は1月15日に月次祭に引き続いて斎行しています。

出雲建雄神社拝殿 -国宝-
 元来は内山永久寺(うちやまえいきゅうじ)の鎮守の住吉社の拝殿でしたが、大正3年に現在地に移築されました。
内山永久寺は鳥羽(とば)天皇の永久年間(1113~1118)に創建された大寺院でしたが、神仏分離令により明治9年に廃絶しました。その後も鎮守社の住吉社は残されましたが、その住吉社の本殿も明治23年に放火によって焼失し、拝殿だけが荒廃したまま残されていましたので、当神宮摂社の出雲建雄神社の拝殿として移築しました。 従ってこの建物は内山永久寺の建物の遺構として貴重なもので、国宝に指定されています。
建立年代については、はじめは保延3(1137)年に建立され、その後13・14世紀に2回の改築により現在の構造・形式になったと考えられています。
-『石上神宮公式サイト』から-


〔左〕摂社 天神社(てんじんじゃ)
〔御祭神〕 高皇産霊神・神皇産霊神
〔右〕摂社 七座社(ななざしゃ)
〔御祭神〕 生産霊神・足産霊神・魂留産霊神・大宮能売神・御膳都神・辞代主神・大直日神

 天神社には、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)・神皇産霊神(かみむすびのかみ)の二座を、七座社には、生産霊神(いくむすびのかみ・中央)・足産霊神(たるむすびのかみ・生産霊神の右)・魂留産霊神(たまつめむすびのかみ・生産霊神の左)・大宮能売神(おおみやのめのかみ・足産霊神の右)・御膳都神(みけつかみ・魂留産霊神の左)・辞代主神(ことしろぬしのかみ・右)・大直日神(おおなおびのかみ・左)の七座をお祀りしています。 両社の九座は、生命を守護して下さる宮中八神に、禍(わざわい)や穢(けがれ)を改め直して下さる大直日神を併せてお祀りしたもので、当神宮の鎮魂祭(ちんこんさい)と深い関係があり、上古から御鎮座になっていると伝えられています。  江戸時代には、天神社は天神御祖神殿・八王子殿など、七座社は長庄神殿などの名で呼ばれていました。 例祭は、 天神社・七座社ともに11月22日に鎮魂祭に先立って斎行しています。


〔末社〕


末社 猿田彦神社 (さるたひこじんじゃ)
〔御祭神〕 猿田彦神
〔配祀神〕 底筒男神・中筒男神・上筒男神
       息長帯比売命・高靇神
 主祭神は、猿田彦神(さるたひこのかみ)で、底筒男神(そこつつのおのかみ)、中筒男神(なかつつのおのかみ)、上筒男神(うわつつのおのかみ)、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)、高靇神(たかおかみのかみ)を配祀神としてお祀りしています。 江戸時代には、祭王御前・山上幸神・道祖神社などと呼ばれ、現在地よりさらに東の山中にお祀りされていましたが、明治10年に現在地にお遷ししました。 その後、明治43年に内山永久寺の鎮守社であった住吉社の御祭神を合祀申し上げました。 例祭は3月28日に斎行しています。


末社 神田神社 (こうだじんじゃ)
〔御祭神〕 高倉下命 (たかくらじのみこと)
 参道大鳥居から西へ下ったところにある神宮外苑公園の、道を挟んだ西向こう側に御鎮座になっています。 神武天皇が御東征の途次熊野にて御遭難になった折に、高天原から下された当神宮の御神体である神剣「韴霊」を天皇に奉った高倉下命(たかくらじのみこと)をお祀りしています。 御創祀については明らかではなく、もとは天理市三島町小字神田の地に御鎮座になっていましたが、平成2年1月に現在地にお遷ししました。 明治初年までは旧社地に当神宮の神饌田一町歩があって、この田で収穫された米1石が年間の諸祭典に用いられました。 例祭は、6月30日に「神剣渡御祭(しんけんとぎょさい)」の中で斎行されます。 なお、 境内にある「烏帽子岩(えぼしいわ)」は、布留川でとれる珍石で、 往古より珍重されているものです。




柿本人麻呂歌碑
  柿本朝臣人麻呂歌  
未通女等之 袖振山乃 水垣之 久時従 憶寸吾者
  娘子らが 袖布留山の 瑞垣の
           久しき時ゆ 思ひき我れは
-『万葉集』巻4 501-




万葉歌碑
  春雑歌   作者 不詳
石上 振乃神杉 神備西 吾八更々 恋尓相尓家留
  石上 布留の神杉 神びしに
       我やさやさや 恋にあひにける
-『万葉集』巻10 1927-





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