2011年01月09日

第29番 土佐国分寺


四国八十八カ所 第29番札所 土佐国分寺





摩尼山 宝蔵院 土佐国分寺 (とさこくぶんじ)

〔所在地〕 高知県南国市国分546

〔宗派〕  真言宗智山派

〔本尊〕 千手観世音菩薩

〔開基〕 行基菩薩

〔真言〕 おん ばさら たらま きりく

〔略縁起〕 四国各県に1ヶ所ずつある国分寺のうち、土佐高知のものがここ。 他の国分寺と同じく、聖武天皇の勅命によって天平13年(741)頃に建立。 そして行基菩薩が千手観世音菩薩を彫って本尊とした。 その後、弘仁6年(815)に弘法大師が訪れた際、大師はここで厄除けの「星供(ほしく)の秘法」を修めたとされる。 ここ国分寺の弘法大師像が「星供大師」と呼ばれるのはこのためだ。 寺は歴代天皇から厚い加護を受けたが、何度かの兵火に遭っている。 それを再建したのは、かの天正の兵火で知られる長宗我部元親・国親。 柿茸(こけらぶ)き、寄棟造りで室町時代の特色を残した本堂が国の重要文化財に指定されているほか、往時の栄華を伝える境内全域が国の史蹟になっている。 なお、「土佐日記」の著者として知られる平安の歌人・紀貫之は、国分寺にほど近い国府に4年間滞在していた。
-『ドライブお遍路』から-



金堂(重要文化財)
桁行五間 梁間六間 単層四柱造柿茸
本尊 千手観世音菩薩
金堂は七堂伽藍の中心となる建物で 本尊を安置するお堂。 現在の建物は永禄元年(一五五八年)に長宗我部国親・元親親子により創建時の金堂跡に再建されたもので 柿茸(こけらぶき)と天平時代のたてものに模した寄棟造りに特徴がある。  又、内部の海老虹梁は土佐最古といわれ吹寄垂木等に室町時代の特色がうかがわれる。 明治三十七年に国の特別保護建造物に指定され現在にいたる。
-境内案内板から-



   山門  明暦元年建立     ひとこと地蔵 (酒断地蔵尊)    開山堂 本尊 行基菩薩




土佐国総社
比江に国庁が置かれ国司が土佐を治めていた時代に、国内の代表神社(式内社)を巡拝することに代えて土佐国二十一社(安芸三、香美四、長岡五、土佐五、吾川一、幡多三)を国庁所在地に勧請して一社を建設したのがこの総社といわれる。  当初は国分新町の南方にあり、次いで元国分寺境内の現在地に移されたものである。
-境内案内板から-



           国を分け 宝を積みて 建つ寺の
                          末の世までの 利益のこせり




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