2011年01月10日

第30番 善楽寺


四国八十八カ所 第30番札所 善楽寺





百々山 東明院 善楽寺 (ぜんらくじ)

〔所在地〕 高知県高知市一宮しなね2丁目23-11

〔宗派〕 真言宗豊山派

〔本尊〕 阿弥陀如来

〔開基〕 弘法大師

〔真言〕 おん あみりた ていぜい からうん

〔略縁起〕 かつて神辺郷と呼ばれた、土佐でもっとも古くから栄えた地に建つ善楽寺は、大同の頃(806~810)に土佐国一ノ宮・総鎮守である高鴨大明神の別当寺として弘法大師が開いた。 神仏習合の寺として長く栄えたものの、明治の神仏分離令で廃寺となって以降、数奇な運命をたどることになる。 まず本尊が安楽寺に移されたこともあり、30番札所が安楽寺に変更。 善楽寺が昭和4年に再興されると、今度は30番札所の納経が善楽寺と安楽寺の2ヶ寺で行われ、お遍路さんが戸惑うことに。 「30番札所は善楽寺」という現在の状況に落ち着いたのは平成6年だ(安楽寺は善楽寺の奥の院になった)。 境内には安産・子宝祈願の子安地蔵、首から上の病気に御利益があるとされる梅見地蔵、厄除けや交通安全に霊験あらたかとされる大師像などがあり、これらを祈願する参拝者も多く訪れる。
-『ドライブお遍路』から-



              本堂                           大師堂












隣接して土佐国一宮の土佐神社が建つ。 善楽寺は土佐神社の別当寺であった。













土佐国一宮 土佐神社       通称 志奈禰様 (しなねさま)

〔鎮座地〕 高知県高知市一宮しなね2丁目16-1

〔社格〕 旧国幣中社  土佐国土佐郡の式内社・都佐坐神社(大)

〔御祭神〕 味鋤高彦根神 (あじすきたかひこねのかみ)
       一言主神 (ひとことぬしのかみ)

〔由緒沿革〕 往昔土佐にます神、土佐高賀茂大社高賀茂大明神等と称し奉り、日本書紀によれば創立年代は遠く上古にあるものの如く夙に皇室の御崇敬篤く屡々勅使の参向あり、天慶三年には正一位の神階に進ませらる。 かくて土佐国総鎮守として武門の崇敬亦篤く殊に元亀元年豪将長曽我部元親は本殿、幣殿拝殿を再興し、慶長六年山内一豊、封を此の地に亨くるや以前の社領を免許し、二代忠義に至り摂末社を始め鳥居、楼門、鼓楼等を増築し国中最上の祈願所となした。 延喜の制には大社に列し、明治四年土佐神社と称して格を国幣中社に列した。
 (神社本庁別表神社)
-『神社名鑑』から-



          人多く  立ち集まれる  一の宮
                            昔も今も  栄えぬるかな




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