2011年02月02日
山城国一宮 賀茂御祖神社
御祭神の賀茂建角身命は八咫烏 (やたがらす)
下鴨神社の末社には任部社(とべしゃ)とよび「ヤタガラス」をお祀りするお社があります。 ヤタガラスは「八咫烏」と書き、「咫(あた)」は昔の長さの単位で、「八咫」とは「大きい」「巨大」という意味、また、「烏」は太陽の象徴であり、「八咫烏」の姿は三本足の巨大な烏と伝えられています。 その昔、神武天皇さまが熊野から吉野に入られる際、この八咫烏に身を代えて導かれたのが下鴨神社の御祭神である賀茂建角身命さまです。 昭和六年(1931)日本サッカー協会設立時より、現在のJリーグにいたるまで御祭神の姿をシンボルマークとして描かれており、サッカー必勝の守護神としても有名です。山城国一宮 賀茂御祖神社 (かもみおやじんじゃ) 通称 下鴨神社
〔鎮座地〕 京都府京都市左京区下鴨泉川町59
〔神紋〕 二葉葵
〔御祭神〕 〔東殿〕 玉依媛命 (たまよりひめのみこと)
〔西殿〕 賀茂建角身命 (かもたけつぬみのみこと)
〔御神徳〕 厄除・縁結・安産・子育・交通安全
〔社格〕 旧官幣大社 山城国愛宕郡の式内社・賀茂御祖神社二座 二十二社
〔御由緒〕 当社の祭神は、賀茂別雷神社に祀られている賀茂別雷大神の母神と外祖父神の二柱。 神武天皇東征の折熊野から大和の難所を先導した八咫烏(やたがらす)が賀茂建角身命であるという。
上賀茂神社と同様奈良時代以前より朝廷による格別の尊崇を受け、二十一年に一度の式年造替制度、また斎王が置かれたこともあった。
例祭である賀茂祭(葵祭)は欽明天皇五年(五四五)より始まったと伝える。 賀茂祭に先立ち、十二単姿の「斎王代」がみたらし川で身を清める儀式、十二日に荒魂をお迎えする「御蔭祭」などがある。 平安時代には、単に「まつり」と言えばこの賀茂祭のことを指し、『源氏物語』や『枕草子』などにも登場する。
国の史跡である「糺の森」(ただすのもり)での発掘調査では、弥生時代の住居跡や土器が発見されている。
-『全国一の宮めぐり』から-
鳥居 楼門
相生社(あいおいしゃ)と連理の賢木(れんりのさかき)
縁結びの神さま、神皇産霊神(かむむすびのかみ)をお祀りする。そばには、神さまのお力により二本の木が途中から一本にむすばれている連理(れんり)の賢木(さかき)という不思議な木があります。
舞殿・中門 幣殿 国宝の本殿
御手洗社(みたらししゃ)・みたらしの池
摂社・御手洗社(みたらししゃ)(井上社) 祭神 瀬織津姫命夏の土用の丑の日の「足つけ神事」、立秋前夜の「矢取り神事」は有名でたくさんの人で賑わいます。 また、みたらしの池の湧く水のあぶくを人の形にかたちどったのが「みたらし団子」で、発祥の地と伝えられています。
摂社・出雲井於神社(いずもいのへのじんじゃ)(比良木社)
祭神 建速須佐乃男命(たけはやすさのおのみこと)出雲井於神社の左右には、
左 末社・橋本社 祭神 玉津島神
右 末社・岩本社 祭神 住吉神
摂社・三井神社(みついじんじゃ)
本宮の若宮(若々しい御神霊)としての信仰があり、賀茂建角身命・玉依媛命・伊賀古夜日賣命の三神がまつられています。
〔左〕 霊璽社(れいじしゃ)
印鑑・契約守護の神様。
〔右〕 言社(ことしゃ)
干支の守り神。
大国主命の七つのお名前ごとに
祀られています。
国指定史跡 糺の森 (ただすのもり)
三万六千坪の境内は「糺の森」とよばれ、全体が国の史跡に指定されています。また、数々の社殿群とともに世界文化遺産にも登録されています。 糺の森は、古代の山城の国の名残をとどめる自然遺産で、文化財と自然環境保全のために財団法人「糺の森顕彰会」が結成され、毎年四月二十九日(みどりの日)の市民植樹祭をはじめいろいろの保全活動がおこなわれています。三井社 (みついしゃ) (別名 三塚社)
(中社) 賀茂建角身命
(西社) 伊賀古夜日賣命
(東社) 玉依媛賣命
摂社・河合神社 (式内社・鴨川合坐小社宅神社)
祭神 玉依姫命 (神武天皇の母)。
摂社・貴布禰神社 (高龗神)
末社・任部社 (八咫烏命)
末社・六社 (諏訪社・衢社・稲荷社・竈社・印社・由木社)
河合神社と鴨長明
『方丈記』の著者、鴨長明はこの河合神社の神官の家に生まれましたが、いろいろの事情によって、この重職を継ぐことができませんでした。 このことから強い厭世感を抱くようになり、やがて『方丈記』を書くにいたったといわれています。 復元された方丈が現在展示されています。-下鴨神社パンフレットから-
河合神社拝殿 貴布禰神社・任部社・六社 鴨長明の方丈
石川や 瀬見の小川の 清ければ
月も流れを たずねてぞすむ
鴨長明
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