2011年01月24日

山城国一宮 賀茂別雷神社


賀茂別雷神社 一之鳥居



山城国一宮 賀茂別雷神社 (かもわけいかづちじんじゃ)   通称 上賀茂神社

〔鎮座地〕 京都府京都市北区上賀茂本山339
                                                   〔神紋〕 二葉葵
〔御祭神〕 賀茂別雷大神 (かもわけいかづちのおおかみ)

〔御神徳〕 厄除・方除・八方除・電気の守護神

〔社格〕 旧官幣大社  山城国愛宕郡の式内社・賀茂別雷神社  二十二社

〔御由緒〕  賀茂川の上流から流れてきた丹塗矢と、玉依比売命との神婚により誕生したのが賀茂別雷大神であり、背後の神山(こうやま)へ降臨され山城国を開拓したと伝える。 奈良朝以前からの古社で、神孫である賀茂県主一族により連綿と奉仕されてきた。
 上賀茂・下鴨両社とも『延喜式』に名神大社、月次・相甞・新甞の奉幣に預かる神社として記載され、名神祭・祈雨・止雨の奉幣にも預かった。 二十二社制度では両社とも上七社に列し、明治四年には官幣大社筆頭に列格するなど、いつの時代にも朝廷による格別の尊崇を受けている。 武門の崇敬も集め、源頼朝は全国各地の荘園を安堵し、江戸幕府も多くの朱印状を寄せた。
 五月十五日の賀茂祭は両社の例祭・勅祭で「葵祭」と呼ばれる。 勅使による祭文奏上や東遊の奉納などがあり、京都御所を出立し下鴨神社から当社へ至る祭礼の行列は盛大である。
-『全国一の宮めぐり』から-



一之鳥居をくぐり境内に入ると一面の芝生の広場。 中央の参道を進むと二之鳥居
二之鳥居から境内を流れる御手洗川(ならの小川)の間に重要文化財の細殿・橋殿・土舎・楽舎等が建ち並ぶ。



立砂 (たてすな)
二ノ鳥居を入ると、細殿の前に一対の立砂がある。円錐形の麗しい御神体山である神山をかたちどったもので一種の神籬(ひもろぎ・神様が降りられる憑代)である。鬼門、裏鬼門にお砂「清めのお砂」をまくのはこの立砂の信仰が起源である。
-賀茂別雷神社パンフレットから-





細殿の東に御手洗川(ならの小川)が流れ、御物忌川と合流している。
御手洗川を渡ると朱塗りの荘厳華麗な楼門がそびえ立つ。

楼門 (重要文化財 1628年建造)




楼門をくぐると正面に中門
中門から内部は撮影禁止となっている。
中門の奥には国宝の本殿・権殿のほか末社杉尾社(杉尾神)・末社土師尾社(建玉依比古命)・摂社若宮神社(若宮神)が立ち並んでいるという。


社殿  本殿・権殿東西に並び建ち、共に流れ造の典型として国宝に指定されている。文久三年(一八六三)の造替で、他の祝詞舎(のりとのや)、透廊(すいろう)等四十二棟の建物は、おおむね寛永五年(一六二八)の再建で重要文化財に指定されている。又、境内全域は平成六年(一九九四)十二月十七日「古都京都の文化財」の一つとしてユネスコが制定する人類共有の世界文化遺産に登録された。


〔左〕 中門の脇には末社棚尾社(豊石窓神・櫛石窓神)。

〔右〕 中門の東側に新宮門
新宮門の中に摂社新宮神社(高靇神)と末社山尾社(大山津見神)がある。



〔左〕 新宮門の側に伊勢神宮遥拝所

〔右〕 新宮門の南、御物忌川の側に御物忌川の守り神末社川尾社(罔象女神)。



〔左〕 摂社片岡社(玉依比賣命)
(式内社・片山御子神社)
祭神は本宮祭神の母神。
〔右〕 摂社須波神社(式内社須波神社)
祭神は前庭の守護神で、阿須波神・波比祇神・生井神・福井神・綱長井神。


〔左〕 御手洗川(ならの小川)の樟橋の傍らに末社橋本社(衣通姫神)。

〔右〕 藤原家隆歌碑
 風そよぐ ならの小川の 夕暮れは
      みぞぎぞ夏の しるしなりける


〔左〕 御手洗川に沿って曲水の宴が開催された渉渓園

〔右〕 渉渓園の北に摂社賀茂山口神社(式内社・賀茂山口神社)
祭神は御歳神。


〔左〕 賀茂山口神社の東に二葉姫稲荷の朱の鳥居。

〔右〕 御手洗川を下ると神事橋の東に、
摂社・奈良神社(奈良刀自神)と庁ノ舎(北神饌所)


奈良神社の南、御手洗川沿いに

〔左〕 末社・山森社
(素盞嗚神・稲田姫命・田心姫命)
〔右〕 末社・梶田社
(瀬織津姫神)




       風そよぐ ならの小川の 夕暮れは
                      みぞぎぞ夏の しるしなりける
                                                    従二位家隆




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