2011年05月02日

第55番 南光坊


四国八十八カ所 第55番札所 南光坊




別宮山 金剛院光明寺 南光坊 (なんこうぼう)

〔所在地〕 愛媛県今治市別宮町3-1

〔宗派〕 真言宗醍醐派

〔本尊〕 大通智勝如来

〔開基〕 行基菩薩

〔真言〕 なむ だいつうち しょうぶつ

〔略縁起〕 霊場中、「坊」がつくのはここのみ。 越智玉興の弟玉純が、文武天皇の勅願を受けて今治沖の大三島に大山祇神社を建て、同時に御法楽所二十四坊を建立した。 和銅5年(712)、参拝の便宜をはかって別宮を今治に移し、別当寺二十四坊のうち、南光坊を含む八坊も移築された。 戦国期には社殿は戦火で荒廃するが、南光坊だけは別宮の別当寺として再興され、繁栄した。 明治の廃仏毀釈で本尊が別宮から当山に移され、四国札所となる。
-『四国八十八カ所』から-



              本堂                           大師堂












        薬師堂               芭蕉翁句碑              金毘羅堂




別宮大山祇神社


日本総鎮守三島地御前
別宮大山祇神社 由緒

 御祭神 大山積大神
 御祭神大山積大神は、天照大神の兄神で、山の神々の親神にあたられて(古事記・日本書紀)、和田志大神とも云はれ(伊予国風土記)、日本民族の祖神として、また、地神、海神 兼備の大霊神として海上の安全、交通、産業の守護をはじめ日本の国土全体を守護し給う神であるところから、古代より日本総鎮守と尊称される。
 当神社は、和銅五年(皇紀一三七一年・西暦七一三年) 越智玉澄公により、日本総鎮守大山祇神社(大三島町元国幣大社)の地御前(ぢごぜん)として勧請創建せられ(豫陽盛衰記)、伊予国一の宮の別宮として、創建以来、代々の領主、藩主等は勿論、人々に広く篤く崇敬されてゐる。
-別宮大山祇神社案内板から-




        このところ 三島の夢の さめぬれば 
                             別宮とても おなじ垂迹




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