2011年05月06日

第59番 伊予国分寺


四国八十八カ所 第59番札所 伊予国分寺




金光山 最勝院 伊予国分寺 (いよこくぶんじ)

〔所在地〕 愛媛県今治市国分4-1-33

〔宗派〕 真言律宗

〔本尊〕 薬師瑠璃光如来

〔開基〕 行基菩薩

〔真言〕 おん ころころ せんだりまとうぎ そわか

〔略縁起〕 国分寺は聖武天皇の勅願により全国に建設された寺。 四国各県にも一カ寺ずつあり、いずれも四国霊場である。 伊予の国分寺であるこの寺は、受難の歴史をへている。 天慶2年(939)、藤原純友の乱によって堂宇は焼失、さらに元歴元年(1184)には、源氏平家の戦いに巻き込まれた。 戦火のたびに堂宇は焼失し、寛政元年(1789)に現在の本堂が再建されるまで、茅葺きのお堂が建つのみだったという。
-『四国八十八カ所』から-



              本堂                           大師堂












国指定 史跡   国分寺塔跡


国指定  史跡  国分寺塔跡
  奈良時代聖武天皇の勅願によって、桜井国分に伊予の国分寺が建てられたが、国分はその境内の跡で金堂の他七堂伽藍の大きな堂塔が造営されていた。 この巨大な花崗岩の13個の塔礎石は、1.5m~2mの自然石で表面に頭大の繰形突起があり、径50cm程度の繰形座の柱受けが刻み出され、天平時代の荒打ちのみのあとも鮮やかで豪壮なものである。 礎石間の間隔は約3.6mで多少傾いたのもあるが整然と並んでいる。
  調査の結果、いく段にもつきかためた粘土の層の上に置かれた礎石は、創建当時の姿をそのまま残しているといわれている。 この上にあった七重の塔は200尺(約60m)ともいわれ、広大な国分寺の姿をしのぶ重要な遺構である。        大正10年3月3日指定  文部省
  史跡・名所の小路  今治市
-史跡「国分寺塔跡」案内板から-




〔左〕 春日神社
(伊予国分寺の鎮守)

〔右〕 鐘楼




  握手修行大師像    薬師如来の薬壺              七福神石仏





         守護のため 建ててあがむる 国分寺
                            いよいよ恵む 薬師なりけり




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