2011年10月06日
紀伊国一宮 伊太祁曽神社
天なるや 八十の木種を 八十国に まきほどこしし 神ぞこの神
木の国 神話の社 伊太祁曽神社
紀伊国一宮 伊太祁曽神社 (いたきそじんじゃ)
〔鎮座地〕 和歌山県和歌山市伊太祈曽558
〔社格〕 旧官幣中社 紀伊国名草郡の式内社・伊太祁曾神社(名神大・月次相嘗新嘗)
〔御祭神〕 五十猛命(いたけるのみこと) 大屋毘古神(おおやびこのかみ)とも称する
(左脇殿) 大屋津比賣命(おおやつひめのみこと)
(右脇殿) 都麻津比賣命(つまつひめのみこと)
〔御由緒〕 五十猛命は素盞鳴尊(すさのおのみこと)の御子神で、植林の神として信仰されている。 『日本書紀』には五十猛命と姫神が大八洲国に植樹したと記されており、最後に鎮まった地を「木の国」と呼んだとされる。 奈良時代に「紀伊国」と改められた。 本殿の両脇に、五十猛命の妹神である大屋津比売命(おおやつひめのみこと)と都麻津比売命(つまつひめのみこと)を祀る。
神社の文献上の初見は『続日本紀』大宝二年(七〇二)に三神分遷のことが見え、それ以前より祀られていた事がわかる。 太古は秋月の地に祀られたが、日前宮の鎮座と共に山東の地へ遷されたと伝える。 周辺には古墳群があり、『延喜式』では名神大社となるなど、古くからこの地方が栄えていたことが伺える。
戦国時代に豊臣秀吉が社領を没収するも秀長により回復、のち和歌山城主となった浅野幸長による社地の寄進、江戸時代には紀州徳川家の崇敬より隆盛した。 現在も紀伊国一円の崇敬はもとより、山林・木材の守護神として全国的に信仰されている。
-『全国一の宮めぐり』から-
右脇宮拝殿 都麻津比賣命 本宮拝殿 五十猛命 左脇宮拝殿 大屋津比賣命
〔左〕 本殿と右脇宮
〔右〕 本殿と左脇宮
氣生神社
〔御祭神〕 五十猛命の荒魂(いたけるのみことのあらみたま)本殿南側に鎮座しています。毎年12月12日に例祭(氣神祭)が執り行われます。
祇園神社
〔御祭神〕 素盞鳴尊(すさのおのみこと)天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
埴安比売命(はにやすひめのみこと)
境内南方の山中にあり、五十猛命の父神である素盞鳴尊を主祭神としてお祀りしています。 毎年旧暦6月7日の夜に祇園祭が行われます。 明治の合祀令によって、氏子地区内の祇園神社も合祀されています。
蛭子神社
〔御祭神〕 蛭子大神(ひるこのおおかみ)氏子地区内の22社の神々
明治の神社合祀令によって、氏子地区である東西山東の各大字に祀られていた22の神社が合祀されています。
櫛磐間戸神社
〔御祭神〕 櫛磐間戸神(くしいわまどのかみ)豊磐間戸神(とよいわまどのかみ)
一の鳥居横に鎮座するこの神社は、伊太祁曽神社の入口を守る門神様として親しまれています。 毎年6月1日に例祭(門宮祭)が執り行われます。
いのちの水・御井社
〔御祭神〕 彌都波能売神(みずはのめのかみ)・御井神(みいのかみ)境内山中の井戸より湧く水は、古来より いのちの水と呼ばれてきました。病人に飲ませると活力を得ると伝えられ、今日でも遠方より汲みに来る方が絶えません。
お猿石
猿の頭の形をしたこの石は、首より上の病に霊験が著しいと云われています。 古くは本殿横にあり、参拝者は本殿参拝の前に手をあてて心気を鎮めて参詣したと云います。 現在は蛭子神社前に移設され、多くの方が撫でてお参りされています。御神木の大杉・木の俣くぐり
木の神五十猛命を祀る当神社の御神木として永くこの地に聳え、その樹齢は千年とも云われていました。 昭和三十七年落雷により炎上、それが原因で枯れるに至る。 古幹が保存され、大屋毘古神が木の俣を利用して大国主命を助けた神話にちなんで、この穴を潜り抜けると災難を除けられると云われています。一之鳥居 二之鳥居 太鼓橋
山々の 木々の栄えを 木の国の
栄えと守る 伊太祁曽の神
本居太平
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この記事へのコメント
はじめまして!私は一之宮巡りを趣味としてものです。
どうぞ宜しくお願いします。
どうぞ宜しくお願いします。
Posted by しゃけ at 2012年04月08日 16:11
しゃけ様 初めまして。
神社と神様が好きで、全国の一宮完全踏破を目指しています。
10年位かかるかもしれません。
今年から始まる「神社検定」の合格目指して勉強中です。
神社と神様が好きで、全国の一宮完全踏破を目指しています。
10年位かかるかもしれません。
今年から始まる「神社検定」の合格目指して勉強中です。
Posted by 閑人 at 2012年04月08日 21:43