2012年06月16日

第28番 成相寺


西国三十三ヶ所 第28番札所 成相寺




成相山 (なりあいさん)  成相寺 (なりあいじ)

〔所在地〕 (丹後國) 京都府宮津市成相寺339

〔宗派〕 真言宗

〔開基〕 真応上人 (しんおうしょうにん)

〔創建〕 慶雲元年 (704)

〔御本尊〕 聖観世音菩薩

〔御真言〕 おん あろりきゃ そわか

〔略縁起〕 成相寺(なりあいじ)は日本三景の一つに数えられる天橋立を眼下に見下ろす鼓ヶ岳の中腹にある。 古くは山岳修験の霊場であったという。
 寺の創建は慶雲元年(704)。 真応上人(しんおうしょうにん)が文武天皇の勅願所として開いたと伝わる。 一説には、聖徳太子の母、間人皇后の手になるともいう。 創建後の歴史は詳らかではなく、平安時代に入ってその名が各種の文献に見られるようになる。
 成相寺の観音霊験については、『今昔物語集』巻十六「丹後国成合観音霊験語第四」に載せられた説話でよく知られている。 すなわち、この寺で大雪に降り込められ飢えに苦しんでいた僧を、観音が猪に身を変えて救ったという話である。 このとき、僧が食った腿を欠いたが、祈りによって再び回復したことから「成り合(相)」の寺名が起こったという。
 観音信仰の隆盛とともに寺も繁栄し、中世には五十余の堂塔が立ち並んだという。 しかし、応永7年(1400)の山崩れで境内の大半が破壊され、現在地へ移転したという。 その後も兵火や大火に見舞われ、そのつど再興された。 現在の本堂は安永3年(1774年)の建築で、 古式に則り、五間四方の入母屋造、正面を千鳥破風、軒唐破風で飾っており、堂内の厨子に安置される本尊の木造聖観世音菩薩は平安時代のものである。


              本堂                           五重塔












    底無池と弁財天堂            真向の龍           鎮守堂(熊野権現社)



      撞かずの鐘             一言一願地蔵              鉄湯船






     御本尊 (秘仏)    聖観音立像
 木造   像高 74.8cm   平安時代
 本尊は一木造、彫眼で古色仕上げ。 内刳はほどこさない。 彫刻、技法は素朴ながら相貌には気品があり、小さいながら木そのものの力強さを感じさせる平安時代らしい像である。 度重なる天災・火災をくぐりぬけた、当初からの本尊かと思われる。 身代リとなって僧を助けた伝説により、「身代わり観音」と呼ばれる。
 御前立も平安時代の作。 顔部に修復の形跡があり、体躯のプロボーションや肉身のモデリング、衣文の表現などに本尊より幾分洗練されたところがあるが、全体が醸し出す雰囲気には品格を漂わせている。




                  納経帳
 〔御墨書〕    「奉拝」 
           「圓通閣」
           「成相寺」

 〔御朱印〕    「西國廿八番」
      蓮華の下に「成相山」
      蓮華宝珠の中に聖観音の種子 「サ」
           「丹後國成相寺」




聖観音の種子 「サ」




成相山パノラマ展望所から望む天橋立




          波の音 松のひびきも 成相の
                          風ふきわたす 天の橋立




この記事へのトラックバックURL

http://manyuuki.mediacat-blog.jp/t80029