2012年11月01日

備後国一宮 吉備津神社


備後国一宮  吉備津神社





備後国一宮 吉備津神社 (きびつじんじゃ)    通称 一宮さん (いっきゅうさん)

〔鎮座地〕 広島県福山市新市町宮内400

〔社格〕 旧国幣小社

〔御祭神〕 大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと) = 比古伊佐勢理毘古命

〔相殿神〕 大日本根子彦太瓊尊(おおやまとねこひこふとにのみこと) (父神・孝霊天皇)
       細比売命(くわしひめのみこと) (母神・孝霊天皇の皇后)
       稚武吉備津彦命(わかたけきびつひこのみこと) (異母弟・吉備臣の始祖)

〔御由緒〕 平安時代、大同元年(806)に備中吉備津宮から勧請されたと伝えられる。 長和二年(1014)法華八講が始められ、また、京都八坂神社「社家条々記録」には、久安四年(1148)に祇園御八講料所として備後の吉備津宮をあてたとある。 弘安十年(1287)、時宗の開祖一遍上人が当社を訪れている(一遍上人絵伝)。
 寛喜元年(1229)と櫻山公自刃の元弘二年(1332)との二度火災に遭ったが、永和二年(1376)に小野宮左近将監により再建された。 現在のご本殿(国指定重要文化財)は慶安元年(1648)、初代の福山城主であった水野勝成公により造替された。
 備後開拓の神様として、また、開運招福・厄除け・交通安全・長寿の神様として、備後一宮・一宮(いっきゅう)さんと親しまれ、広くご神威を仰がれている。
-『全国一の宮めぐり』から-


          本殿 (重要文化財)               拝殿 (福山市重要文化財)











御本殿 (国指定重要文化財)
 現在のご本殿は慶安元年(1648年)、当時の福山城主であった水野勝成公により御造営されました。 入母屋造平入・檜皮葺で、桁行(横)七間(18.5m)、梁間(縦)四間(9.7m)あり、全国でもまれにみる大規模な社殿です。 また向拝三間で正面には千鳥破風・軒唐破風を持った江戸時代初期の建築でありながら、室町時代の風格と桃山彫刻を兼ね備えています。
 明治2年小田県品治郡・神石郡の郷社に定められ、同9年県社、昭和3年国幣小社となりました。 古来より現在に至るまで、備後国14郡の一宮と称せられ、多くの人々が参詣し、大神の御神徳を仰がれています。 御本殿は昭和40年3月、国の重要文化財に指定されました。
 拝殿は本殿とともにに造営されたもの。 本殿の下段に建つ。 (福山市重要文化財)
-境内案内板から-


大鳥居
 大鳥居は慶安元年(1648)、福山城主水野勝成公が誠心こめて御本殿以下御寄進御再建になりました時のもので、第百七代後陽成天皇の皇子、堯然法親王の筆による「吉備津一宮」の扁額が掲げてあります。 (福山市指定文化財)





随神門 2門

〔左〕上随神門
〔右〕下随神門(福山市指定文化財)

 全国で随神門が二つあるのは備後一宮のみであります。 十月神無月には全国の八百万神々が、出雲へ集合され神政(神の政治)、今でいう国会を開かれましたが、吉備津彦命のみが欠席され、どうしたものかと心配された大国主命は二人の使者を備後国へ派遣されましたが、備後国は大祭の最中この二人の使者は歓待を受け、以後吉備津彦命の親衛の門守として末永く仕えることとなり、上下の随神門が作られたという伝説があります。 以後、備後国は十月を神有月として有名です。
-『御参拝のしおり』から-



神楽殿 (広島県重要文化財)
 寛文13年(1673)の建立。 拝殿の下段に建つ。 桁行二間、梁間一間の高床の舞台に入母屋造妻入で屋根が設けられている。 屋根は古くは檜皮葺であったが、現在は銅板葺。 広島県の指定文化財。



公孫樹 (天然記念物)
 公孫樹は天然記念物(日本老樹名木第415号)であります。 春は緑、秋は黄金色の錦を織りなして、あざやかな光に映えて人々の心を清らかにします。 この大広場は毎年11月23日(勤労感謝の日)前後で4日間、中国地方屈指の名高い市立大祭に、各種興業・露天商数百と共に天幕を張って、秋の豊作をにぎわい祝う近郷近在の人々のオアシスであります。


境内摂社・末社


摂社 多理比理神社  備後国品治郡の式内社多理比理神社
〔御祭神〕 多理比理神(息長帯姫神(姉)・息長日子王(弟))
多理比理神社の由緒  古事記に記載してある右の神々を祀ると見るのが至当。 延喜式神名帳に記載してある神社(式内社)二千八百六十一社の一つで、西暦七百年代には既にかなりの伝統を有していた備南随一の神社。           -境内石碑-


十麻里二柱神社(とまりふたはしらじんじゃ)
〔御祭神〕 吉備津彦命・御親族十二柱  石州街道の宮内の地に吉備津彦の命と共に古くより旅人の安全をお守りするため御親族十二柱を祭神し、交通安全の神様として御鎮座されております。
今日の車社会の渦巻く中で、とうとい命を大切に交通安全祈願をして、事故のない楽しい生活を送りましょう。  -境内案内板-



〔左〕 十二神社・大名持神社
〔御祭神〕 吉備津彦命の一族・大名持神(大国主命)
〔右〕 吉備津稲荷神社
〔御祭神〕 宇迦能御魂神
(商売繁盛・家業繁栄の守り神)




〔左〕 真名井神社(まない)
〔御祭神〕 御井神

〔右〕 山雷神社(やまいかづち)
〔御祭神〕 雷神



〔左〕 乳房神社(ちぶさ)
〔御祭神〕 公孫樹乳房神
(安産の神様)
〔右〕 疱瘡神社(ほうそう)
〔御祭神〕 少彦名神
(医療・皮膚病除けの神様)



〔左〕 武内神社(たけうち)
〔御祭神〕 武内宿禰命
(長寿の神様)
〔右〕 厩戸皇子神社(うまやどのおうじ)  〔御祭神〕 聖徳太子
(政治の神様)



〔左〕 吉備津天満宮
〔御祭神〕 菅原道真公
(学問の神様)
〔右〕 祖神社・彰徳宮・白髪神社
〔御祭神〕 神道家祖先御霊・備後国出身戦歿英霊・猿田彦命



〔左〕 秋葉神社・四所神社
〔御祭神〕 火之迦具土神
(火防開運の神様)
〔右〕 大山祇神社
〔御祭神〕 大山祇神
(山の神・農耕の神)



〔左〕 胡神社 (えびすじんじゃ)
〔御祭神〕 蛭子神
(海上安全・商売繁盛の神様)

〔右〕 五穀神・水神




〔左〕 厳島神社 (いつくしま)
〔御祭神〕 多紀理毘売命・市寸島比売命・多岐都比売命
〔右〕 御池(みいけ)
 昔はここで禊ぎをしてお参りしました。




櫻山神社
〔左〕 櫻山神社拝殿
〔右〕 櫻山神社本殿
〔御祭神〕 櫻山慈俊命他二十三柱


櫻山神社由緒
祭神 櫻山慈俊命
後醍醐天皇の御宇元弘の乱起るや天皇笠置に潜幸し給い国歩艱難に際し回天の大業を援けんと東に楠正成公赤坂に義兵を挙け西に櫻山茲俊公相呼応して一宮城廓に義旗を翻し意氣衝天の勢を以て修羅の巷に転戰し忽ちにして近境を風靡するに至る偶笠置陥り正成戰死の誤報伝るや将兵の退陣するもの多く孤城落日の迫れるを悲憤慷慨したる公は自ら妻子を刺殺し一族郎党廿三名と共にあつはれ自刃せらる時維れ元弘二年正月廿一日なり
嗚呼公は天資英邁にして軍略に長し純忠至誠功勲赫赫として千載青史に輝き郷土民衆に景慕欣仰せられ永遠に祭神として鎮座せらるゝ所以なりと云爾
  宮司 従五位 追林順太郎 撰竝書
-櫻山神社由緒石碑-





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