2013年04月13日

第12番札所 慈恩寺観音

坂東三十三ヶ所 第12番札所 慈恩寺観音





華林山 (かりんさん)  慈恩寺 (じおんじ)       通称 慈恩寺観音

〔所在地〕 (武蔵国) 埼玉県さいたま市岩槻区慈恩寺139

〔宗派〕 天台宗

〔開基〕 慈覚大師 (円仁)

〔創建〕 天長元年(824)

〔御本尊〕 千手観世音菩薩

〔御真言〕 おん ばざら たらま きりく





〔略縁起〕 寺伝によれば天長元年(824)慈覚大師円仁の草創という。 円仁は下野国の出身とされ、東国に天台宗布教の基礎を築いた高僧である。 円仁が関東巡錫の折、日光山の頂から仏法弘通の霊地あらば示し給えと「李(すもも)」の実を虚空に投ずると、この地に落ち華を咲かせたので、千手観音の尊像を自刻、一宇を建立して安置したのに始まる。 山号の「華林山」はこの故事に由来する。 寺号の「慈恩寺」は円仁が修行した唐の長安の「大慈恩寺」の風景に、この地が似ているのでつけられたという。
 天正19年(1591)、関東に入部した徳川家康から寺領を寄進され、江戸時代に入ると江戸幕府のほか岩槻城主からも帰依を得た。 最盛期には『風土記稿』に本坊四十二坊、新坊二十四坊とあり、また元禄6年(1694)の現存古図でも約十三万五千坪に及ぶ境内を構える天台宗の大寺院であったことが記されている。
 しかし文政10年(1827)の火災により焼失し、寺運は衰退した。 天保14年(1843)に至って深乗上人の代に再建され、昭和の大改修がなされて今日に及んでいる。



御本尊の御影





御住職の法話

    観音さまのご功徳           慈恩寺前住職 大嶋見順

 当山にお参りの方々には、案内と一緒に「十句観音経」をお頒ちいたしております。 当山先代が癌の手術の折、十句観音経のおかげで九死に一生を得たことから、その功徳をみなさまにお頒ちしたいと考えてのことです。 この観音経を、少しでもお役にたてば、と布施続けてくださっておられた中村余容先生も、観音経により救われ、書家として画家としてご活躍された方です。 白隠禅師の霊験記をまつまでもなく、そのご功徳をいただいた方々の救われた喜びを多々うかがっております。
 一心に念ずることにより観音さまと一体となり、観音さまのお心をわが身にいただいて、心にやすらぎと喜びが湧いてくるのは、すべてのとらわれから解き放たれることによるものでしょうか。
 いずれにしても、喜びとやすらぎをお持ち帰りいただきたいものであります。
         十句観音経
  観世音  南無仏  与仏有因  与仏有縁  仏法僧縁
  常楽我浄  朝念観世音  暮念観世音  念々従心起  念々不离心
-『板東三十三所観音巡礼』から-




納経帳

    〔御墨書〕     「奉拝」  「武州岩槻」
               「華林山慈恩寺」
               「執事」

    〔御朱印〕     「坂東拾二番」
               宝珠の中に千手観音の種子「キリク」
               「慈恩観音」




千手観音の種子「キリク」




       慈恩寺へ  詣る我が身も  たのもしや
                       うかぶ夏島を  見るにつけても




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