2013年04月20日

第13番札所 浅草観音

坂東三十三ヶ所 第13番札所 浅草観音




金龍山 (きんりゅうざん)  浅草寺 (せんそうじ)      通称 浅草観音

〔所在地〕 (武蔵国) 東京都台東区浅草2-3-1

〔宗派〕 聖観音宗

〔開基〕 土師直中知・桧前浜成・桧前竹成

〔中興開山〕 慈覚大師 (円仁)

〔創建〕 推古天皇36年 (628)

〔御本尊〕 聖観世音菩薩 (秘仏)

〔御真言〕 おん あろりきゃ そわか





〔略縁起〕 『浅草寺縁起』によると、推古天皇36年(628)、宮戸川(現・隅田川)で漁をしていた檜前浜成(ひのくまのはやなり)・竹成(たけなり)兄弟の投網の中に聖観音像を感得した。 像を拝した兄弟の主人土師中知(はじのあたいなかとも)は出家し、自宅を寺に改めて供養した。 これが浅草寺の始まり。 後にこの三人を祀ったのが三社権現(浅草神社)である。
 その後大化元年(645)、勝海上人が寺を整備し観音の夢告により本尊を秘仏と定めた。 平安時代初期の延暦寺の僧・円仁(慈覚大師)が来山して「お前立ち」の観音像を刻み安置されたという。 これらのことから浅草寺では勝海を開基、円仁を中興開山と称している。
 天慶5年(942)、安房守平公雅が武蔵守に任ぜられた際に七堂伽藍を整備したとの伝えがあり、雷門、仁王門(現・宝蔵門)などはこの時の創建といわれる。 鎌倉時代の『吾妻鏡』によれば、源頼朝が深く帰依し、治承5年(1181)、鎌倉の鶴岡八幡宮造営に際し、浅草から宮大工を呼び寄せたことが記されている。
 江戸時代には、天海大僧正の進言で徳川家の祈願所となり、五百石を寄せられ、坂東無双の巨藍となった。 寛永8年(1631)、同19年に堂宇は火災により焼失するが、慶安2年(1649)、将軍家光の代に観音堂、五重塔、仁王門、雷門が再建され、江戸庶民の信仰で賑わった。
 太平洋戦争によって惜しくも堂塔を失ったたが、今日ではそのすべてを復興し、輪奐の美をなしている。


浅草神社













浅草神社 (あさくさじんじゃ)    通称 三社様 (さんじゃさま)

〔鎮座地〕 東京都台東区浅草2-3-1

〔社格〕 旧郷社

〔御祭神〕 土師真中知命 (はじのまつちのみこと)
       桧前浜成命 (ひのくまのはまなりのみこと)
       桧前竹成命 (ひのくまのたけなりのみこと)

〔配祀神〕 東照大権現 (徳川家康)

〔御由緒〕 明治初年の文書によると、祭神は土師真中知命(はじのまつちのみこと)・桧前浜成命(ひのくまのはまなりのみこと)・桧前竹成命(ひのくまのたけなりのみこと)・東照宮である。 浜成と竹成は隅田川で漁猟中、浅草寺本尊の観音像を網で拾い上げた人物、真中知はその像の奉安者といわれている。 三神を祀る神社なので、「三社様」と呼ばれた。 しかし鎮座年代は不詳。 東照宮は権現様すなわち徳川家康のことで、慶安二年(一六四九)に合祀された。 以来、三社大権現といい、明治元年(一八六八)三社明神、同六年浅草神社と改称した。
 現在の社殿は慶安二年十二月、徳川家光が再建したもの。 建築様式は、本殿と拝殿との間に「石の間」(弊殿・相の間ともいう)を設け、屋根の棟数の多いことを特徴とする権現造。 この社殿は江戸時代初期の代表的権現造として評価が高く、国の重要文化財に指定されている。 毎年五月に行われる例祭は「三社祭」の名で知られ、都指定無形民俗文化財「びんざさら」の奉演、百体近い町神輿の渡御があって、人々が群集し、賑やかである。 
  平成六年三月        台東区教育委員会
-「境内案内板」から-



御本尊の御影


「柳の御影」 (浅草寺寺宝)     慈覚大師円仁さまによって彫刻されたお姿。

    慈悲の仏さま     浅草寺ご本尊の観世音菩薩さま
 観音さまは、多くの仏さまの中でも最も慈悲深い仏さまであり、人々の苦しみを見てはその苦しみを除き、願いを聞いては楽しみを与えてくださいます。
 特に浅草寺ご本尊の観音さまのご利益・ご霊験は古今無双であり、ご示現より今日まで1400年近くにわたり計り知れぬほどの人々を救われご加護なさってきました。
  観音さまのご信仰とは、観音さまに「慈悲」のお心を頂いて生きること、すなわちすべてに「あたたかい心」で接して日々を過すことと申せましょう。
※ご参拝の際には合掌して「南無観世音菩薩」とお唱えいたしましょう。
-「浅草寺公式サイト」から-




御住職の法話

    観音浄土                浅草寺貫首 清水谷孝尚

 ご本尊さまがご示現になられましてから千三百六十年になります。 この間、数えきれないほど多くの人々が一心に祈りをこめて参られ、今日も全国からの参詣者で浅草寺は賑わっております。 これは観音経に説く「一心に観音さまの御名(みな)を称えれば、たちどころに厄難から救ってくださる」という観音さまの有難いおはたらきによせる信仰の表われでありましょう。
 この観音信仰のわかりやすさと、当山の『縁起』に示される名もなき三人によるご示現という庶民性とが魅力となって、「あさくさのかんのんさん」としての親しみをもっていただける霊場となったものと思います。
 観音さまは「慈悲(じひ)」をご本体とされる菩薩であります。 いわゆる「己れを忘れ他を利する」お心の持ち主であられます。 皆さんが観音さまを信仰なさいますと、もろもろの願いがかなうばかりではなく、この観音さまの慈悲のお心を自分のものとすることができるのです。
 その時こそ皆さまは観音さまの化身となられるのです。 そうなれば、この世は観音浄土となります。 なお一層のご信心をおすすめいたします。
-『板東三十三所観音巡礼』から-





納経帳

     〔御墨書〕      「奉拝」  「金龍山」
                 梵字「サ」  「聖観世音」
                 「浅草寺」

     〔御朱印〕      「阪東拾三番」
                 「観世音」
                 「浅草寺印」




聖観音の種子「サ」




        ふかきとが  今よりのちは  よもあらじ
                        つみ浅草に  まいる身なれば




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