2013年10月18日

第30番札所 高倉観音


坂東三十三ヶ所 第30番札所 高倉観音





平野山 (へいやさん)  高蔵寺 (こうぞうじ)        通称 高倉観音

〔所在地〕 (上総国) 千葉県木更津市矢那1245

〔宗派〕 真言宗豊山派

〔開基〕 徳義上人 (とくぎしょうにん)

〔創建〕 用明天皇の御代 (6世紀後半)

〔御本尊〕 正観世音菩薩

〔御真言〕 おん あろりきゃ そわか





〔略縁起〕 縁起によれば、草創は6世紀後半の用明天皇の御代。 徳義上人が木の梢に現れた4寸ほどの観音像を祀り、安置する堂宇を建立したという。
 この観音さまの霊験は矢那郷の猪長官(いのうちょうかん)に現われる。 四十歳になっても子のないのを嘆いた長官が、この観音さまに百日参拝の願をかけ祈ったところ一女を授けられた。 長官は大いに喜び、子与観(しよかん)と名づけた。 子与観は心清く、親切ですばらしい娘になったが、器量があまり良くないので二十歳を過ぎても良縁がなく困っていた。 そこで再び観音さまにお祈りして願ったところ、ある夜「鹿島へ行きて日天を拝せよ」とのお告げをいただき、そのとおりにして結婚、めでたく男子を得たが、これぞ藤原氏の祖「藤原鎌足」であったという。 鎌足は白雉元年(650)、七間四面の本堂、五間四面の阿弥陀堂、三層の塔、輪蔵、鐘楼、仁王堂を建立し報謝し奉ったという。
 のちに行基菩薩が丈余の観音像を彫み、その頭部内に梢で感得の尊像を納めて本尊とした。 貞観年間(859~877)には慈覚大師が不動・毘沙門の両像を納めたともいう。



御本尊の御影




御住職の法話

       観音信仰 = 極楽生活                高蔵寺住職 宮寺弘正

 最近は車で来られる方が多くなりましたので駐車場を設けましたが、ちょうど手頃なのでしょぅか、いわゆる暴走族と思われる若者もよくやって来ます。 初めは困ったことだと見ておりましたが、お正月にこの者たちが服装を正して観音さまにお参りに来ました。 その神妙な姿を見て、やはりこの人たちも心のどこかによりどころを求めているのだなあ、と感じ入りました。
 観音さまは本堂やお厨子の中に安置してありますが、実は私たちのこの世界におられるのです。 道を歩いている時、急に自動車が来たら、近くにいる人が「危い」と注意してくださる、それが観音さまのお姿でありお声です。 この慈悲の心が観音さまです。 観音さまはこの実社会の中に方便をもって現われ、法を説いておられます。 こう思うと、誰の言うことも観音さまの声だからよく聞かなければならないということがわかります。 ここに気づくことが極楽に入ったことになるのです。 周囲に観音さまがおられるのだから悪いことや災難は一切逃れることができるのです。 金持ちも貧しい人も、みなこの身このまま観音さまのお膝に乗って安楽に暮らすことができます。 こうなったら立腹も喧嘩もすることなく、このまま極楽生活になる ― これが観音信仰です。
 先生に連れられて来た幼稚園の子供たちが、きちんと手を合わせている姿をよく見かけます。
「ああ勿体ない」と思う次第です。
-『板東三十三所観音巡礼』から-




納経帳

    〔御墨書〕     「奉拝」   「上総國」
               梵字「サ」   「観世音」
               「高蔵寺」

    〔御朱印〕     「坂東三拾番」
               蓮華宝珠の中に、中尊として正観音の種子「サ」
               左脇侍に不動明王の種子「カン」
               右脇侍に毘沙門天の種子「バイ」
               「高蔵寺印」




         毘沙門天「バイ」        正観音「サ」        不動明王「カン」





       はるばると  登りて拝む  高倉や
                      富士にうつろう  阿裟婆なるらん




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