2013年11月01日

第31番 笠森観音


坂東三十三ヶ所 第31番札所 笠森観音





大悲山 (だいひさん)   笠森寺 (かさもりじ)         通称 笠森観音

〔所在地〕 (上総国) 千葉県長生郡長南町笠森302

〔宗派〕 天台宗

〔開基〕 伝教大師最澄 (でんぎょうだいしさいちょう)

〔創建〕 延暦3年 (784)

〔御本尊〕 十一面観世音菩薩

〔御真言〕 おん ろけい じんばら きりく そわか





〔略縁起〕 寺伝によれば延暦3年(784)、伝教大師最澄が東国巡錫の折、尾野上の山頂に霊光を拝され、楠の霊木で七尺六寸の尊像を刻み仮堂を建てて安置し、開基になられたという。 『縁起』に大悲山楠光院と号したという。
 天慶年間(938~947)、箕作りの貧しい娘於茂利(おもり)は観音堂の雨漏りで尊像も濡れていたので不憫に思い、自分の箕笠を尊像に掛けてやった。 国司の奏上で都に上った於茂利は朱雀天皇の寵愛を得て、ついに后妃となった。 後に於茂利は尾野上に壮麗な観音堂を建立、於茂利の笠ということで、笠森と呼ばれるようになったといわれる。
 長元元年(1028)、後一条天皇の勅命で飛騨の工匠一条康頼と堀川友成が棟梁となって舞台造りの本堂が建てられた。 現在の本堂は桃山時代の再建で、国指定重要文化財。 他に例を見ない四方懸造で、岩の上に高々と組み上げられている。 二代目広重の「諸国名所百景」の錦絵にも画かれたお堂である。



御本尊の御影




御住職の法話

    観音さまのお心を自らの心に・・・・・・           笠森寺住職 小川長宏

 観音さまは仏の位にありながら、仏になってしまうと衆生を救えないということであえて菩薩となっていらっしゃいます。 巡礼をされる方々は、この観音さまのお心を自らの心とするように心掛けてほしい。 菩薩の道とは一言でいえば「上求下化」ということで、自分は常に道を求めながらそのことによって下を教化する、ということです。 ですから、せっかく札所巡りを発心されたからには、姿形だけ白く清浄にするだけでなく、心から清浄になってほしいと思うわけです。
 笠森寺は草深い山の中で何もないところですが、何か心を洗われるものがあるはずです。 そのような場所であってほしいと願えばこそみんなが信仰して観音さまをお守りしております。 私自身も三百六十五日お供え物とお花を切らしたことはありません。 街なかでは当り前のことが、この山中ではなかなか難しいことです。 観音さまは生きていらっしゃると思うので、外出した折には必ず観音さまにお土産を買ってまいります。 自分が何かお願いするのに何も差し上げないわけにはいかないという気持ちからで、山寺の一和尚が一生懸命に生きている姿を、日々観音さまにご覧いただいているつもりです。
 読経の終わりを「願わくはこの経の功徳をもって遍く一切に及ぼし、我らと衆生とみな仏道を成ぜんことを」と結びますが、拙いお経でどうか衆生が救われますように、と願うが故です。
-『板東三十三所観音巡礼』から-





納経帳

     〔御墨書〕    「奉拝」   「上総國」
               梵字「キャ」   「大悲閣」
               「笠森寺」

     〔御朱印〕    「坂東三十一番」
               火焔宝珠の中に、十一面観音の種子「キャ」
               「大悲山笠森寺之印」





十一面観音の種子「キャ」




         日はくるる  雨はふる野の  道すがら
                        かかる旅路を  たのむかさもり




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