2013年11月15日

越後国一宮 居多神社


越後国一宮
居多神社
 (こたじんじゃ)





越後国一宮 居多神社 (こたじんじゃ)

〔鎮座地〕 新潟県上越市五智6-1-11

〔社格〕 旧県社  越後国頸城郡の式内社・居多神社

〔御祭神〕 大国主命 (おおくにぬしのみこと)
       奴奈川姫 (ぬながわひめ)
       建御名方命 (たけみなかたのみこと)

〔御由緒〕 祭神の奴奈川姫は越後国の姫神で、大国主命との間に建御名方命(諏訪神)を産んだ。 建御名方命は信濃国一の宮である諏訪大社の御祭神であるが、同社の御分社は新潟県に多く鎮座し、この三神は信越地方の開拓神として大いに尊崇されている。
 当地は国府の所在地にあたり、近くに越後国分寺がある。 貞観三年(861)には朝廷より神階従四位下を贈られている。 神社は春日山城にも近く、ここを居城とした上杉謙信、ほか越後守護上杉氏の崇敬を受け隆盛、徳川家光も社領を寄進している。 また江戸時代には、松尾芭蕉が「奥の細道」よりの帰途に参拝している。
 社殿は天正六年(1578)、上杉謙信没後、養子景勝と景虎との家督争い「御館の乱」に巻き込まれて社殿が損傷、後に再建される。 日本海近くに鎮座していたが、明治十二年海岸の浸食を受け、現在地へ遷した。 平成二十年、新社殿が造営された。
-『全国一の宮めぐり』から-



              拝殿                            本殿













境内社

〔左〕 雁田神社 (かりた)
御祭神 高皇産霊神・神皇産霊神
(子宝・安産の神 )
〔右〕 稲荷神社 (いなり)
御祭神 倉稲魂命
(商売繁昌の神)




名所・旧跡


〔左〕 大国主命・沼河姫像


〔右〕 大国主命沼河姫妻問歌碑





親鸞聖人御像



 親鸞聖人は、承元元年(1207)、35歳のときに朝廷より専修念仏の弾圧をうけ(承元の法難)、ここ越後国府に流罪の身となられた。 『親鸞聖人御一代記』によれば、聖人は、親不知の難所をこえて同年3月28日に居多ヶ浜に到着されている。
                                           越後七不思議「片葉の葦」
 聖人は居多ヶ浜に御上陸された後、越後一の宮、居多神社を参拝された。 聖人は日の丸に六字名号を書かれ、「末遠く法をまもらせ居多の神、弥陀と衆生のあらむ限りは」と一首を詠んで神前に供え、早期の恩赦免と念仏の興隆を祈願したところ、一夜にして境内の草が片葉になったという。 すなわち、今日も境内に群生する親鸞聖人越後七不思議の一つ「片葉の芦」の由来である。

 赦免はそれから5年後のことであるが、聖人は関東へ向かわれるまでの約7年間を越後で過ごされた。 厳しい自然のなか、恵信尼公との結婚、家族に囲まれ、民衆に溶け込みながら流人として越後で過ごされたことが、「非僧非俗」をもって「愚禿」と名乗られた聖人の念仏者としての道を深めたといわれ、越後での生活は、親鸞聖人の思想に深く影響しているとされている。



親鸞聖人御詠歌

         すゑ遠く  法を守らせ  居多の神
                      弥陀と衆生の  あらん限りは





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