2014年05月28日

越後国一宮 彌彦神社


越後国一宮
彌彦神社
 (いやひこじんじゃ)





越後国一宮 彌彦神社 (いやひこじんじゃ)      通称 おやひこさま

〔鎮座地〕 新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦2887-2

〔社格〕 旧国幣中社  越後国蒲原郡の式内社・伊夜比古神社(名神大)

〔御祭神〕 天香山命 (あめのかごやまのみこと)

〔御由緒〕 天照大御神の御曾孫神である天香山命は、神武東征の折り武功を挙げ、神武天皇即位後は越後地方の開拓経営を命ぜられた。 当社は越後地方の開拓祖神である命を祭神とし、越後平野の中央に聳える弥彦山を神奈備とする。 その創建年代は不詳だが、万葉集に「いやひこおのれ神さび青雲の棚引く日すら小雨そぼふる」「いやひこの神の麓に今日らもか 鹿の伏すらむ皮服着て角つきながら」の歌が記されており、古くから越後国の守護神として朝野の篤い尊崇を受けていたことがわかる。
 戦国時代は上杉氏の尊崇を受け隆盛し、江戸時代にも慶長二十年(1615)松平忠輝より社領五百石が、徳川家光から同じく五百石が寄進された。
 現在の社殿は、明治末に焼失したため大正五年に再建されたもの、本殿は三間社流造で向拝・回縁高欄・脇障子を具え、弊殿は三間社流造で大床昇階擬宝珠高欄を付す。 いずれも銅板葺、四方を木々に囲まれた社殿は荘厳である。
-『全国一の宮めぐり』から-


              拝殿                            本殿












御社殿
 現在の御社殿は明治45年に門前町から出た火災の延焼で炎上したため、大正5年に現在の地に造営されました。
 本殿は三間社流造向拝付、回縁高欄、脇障子を具え、銅板葺きです。 弊殿も三間社流造、大床昇階擬宝珠高欄を付し、銅板葺きです。 祝詞舎は20坪両流箱棟造りで、それにつづく拝殿は50坪で入母屋造、向拝、裳階付きの銅板葺きです。
 御本殿以下諸殿舎のお屋根の葺き替え、祈祷殿・参拝控所・社務所の新築等々、八十五年ぶりの大修営事業を行い、平成十三年十月に竣工されました。



御祭神
天香山命
 (アメノカゴヤマノミコト)
 天照大御神の御曽孫(ひまご)にあたり、高天原より神々が天孫降臨賜いし折にご一緒に降り、紀州熊野(和歌山県)に住み神武天皇ご東征の際に韴霊(フツノミタマ)の剣を奉って大功をたてられました。
 神武天皇が国家統一を終え、大和の橿原の宮でご即位になられた4年後に越後地方開拓の詔を受け、日本海の荒海を舟で渡られ、はるばる越の国の野積浜にご上陸になられました。
 そこで早速、漁民に海水を焚いて塩を作ることや、網・釣針を用いて魚を獲る術を教えられました。 さらに弥彦に宮居を定められてから蛮族を平定され、住民に稲作や酒造の術をご指導になられ、また、6代の御子孫も協力・継承して越後地方の産業文化の基礎を造られました。 じつに命は、越後開拓・産業文化の始祖神です。
-小冊子「おやひこさま」から-



境内 摂社・末社


      摂社・武呉大神           摂社・草薙神社          摂社・今山神社


摂社・武呉大神(たけくれ)
〔御祭神〕 天五田根命(あめのいつたねのみこと)(第1嗣)

摂社・草薙神社(くさなぎ)
〔御祭神〕 天戸國命(あめのとくにのみこと)(第3嗣)

摂社・今山神社(いまやま)
〔御祭神〕 建筒草命(たけつつくさのみこと)(第4嗣)



〔左〕摂社・勝神社(すぐる)
〔御祭神〕 建田背命(たけたせのみこと)(第5嗣)
〔右〕摂社・乙子神社(おとご)
〔御祭神〕 建諸隅命(たけもろずみのみこと)(第6嗣)




    末社・二十二所神社         末社・八所神社           末社・十柱神社


末社・二十二所神社(にじゅうにしょ)
〔御祭神〕 伊勢大御神・石清水八幡宮・加茂大明神・松尾大明神・平野大明神・稻荷大明神・春日大明神・大原大明神・大神神・石上神・大和神・廣瀬大明神・竜田大明神・丹生神・住吉明神・貴船大明神・吉田神・廣田大明神・北野大明神・梅宮坐神・祇園神・日吉神

末社・八所神社(はっしょ)
〔御祭神〕 香取大明神・熱田大明神・香嶋大明神・氣比大明神・諏訪大明神・江文大明神・渡津大明神・氣多大明神

末社・十柱神社(とはしら)(重要文化財)
〔御祭神〕 大穴牟遲命・彌都波能賣神・速秋津日子神・速秋津日女神・阿須波神・波比岐神・大山祇神・大地主神・埴山姫神・草野姫神



名所・旧跡


       二の鳥居              東参道鳥居            御神橋(玉ノ橋)



        随神門                神馬舎                 鹿苑





御神廟




御神廟
 御祭神・天香山命(あめのかごやまのみこと)並びに妃神の熟穂屋姫命(うましほやひめのみこと)の御廟で、弥彦山山頂(標高634m)にあります。 5月と10月には春・秋季神廟祭が行われ、多くの崇敬者が参列します。
-小冊子「おやひこさま」から-


中部北陸自然歩道
御神廟
 越後平野を一望する霊峰・弥彦山(標高634m)の御神廟とは、山頂に祀られる彌彦神社の御祭神の御廟(奥宮)のことです。
 御祭神である天香山命(あまのかごやまのみこと)は和銅4年(711年)に神武天皇より、越後地方の開拓の勅命を受け、日本海の荒海を舟で渡られ、越の国の野積浜(現在の寺泊町野積地区)に上陸されました。
 そこで早速、漁民に海水を焚いて塩を作ることや、網や釣針を用いて魚を獲る術を教えられ、さらに弥彦に宮居を定められてから、越後を平定し、さらに住民に稲作をはじめ諸産業の御指導をされたと伝えられています。
 千年以上も昔から、彌彦神社は越後一宮として「おやひこさま」の敬称で親しまれています。
     環境省・新潟県         
-「中部北陸自然歩道案内板」から(原文のママ)-
※ 下線は神武天皇4年の誤りか



万葉歌碑

     万葉の道の歌碑            鹿苑の歌碑            御神廟の歌碑




伊夜彦 於能礼神佐備 青雲乃 田名引日須良 霂曽保零  (一云 安奈尓可武佐備)

      弥彦 おのれ神さび 青雲の
          たなびく日すら 小雨そほ降る  (一に云ふ あなに神さび)
-『万葉集』巻16 3883-



伊夜彦 神乃布本 今日良毛加 鹿乃伏良武 皮服著而 角附奈我良

        弥彦 神の麓に 今日らもか
               鹿の伏すらむ 皮衣着て 角つきながら
-『万葉集』巻16 3884-





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