2011年09月15日

紀伊国一宮 日前・國懸神宮


日前神宮・國懸神宮




紀伊国一宮  日前神宮(ひのくまじんぐう)・國懸神宮(くにかかすじんぐう)

〔鎮座地〕 和歌山県和歌山市秋月365

〔社格〕 旧官幣大社 紀伊国名草郡の式内社、日前神社・國懸神社(名神大・月次相嘗新嘗)

〔御祭神〕   日前神宮  日前大神(ひのくまのおおかみ)=日像鏡(ひがたのかがみ)
            相殿  思兼命(おもいかねのみこと)
                 石凝姥命(いしこりどめのみこと)

         國懸神宮  國懸大神(くにかかすのおおかみ)=日矛鏡(ひぼこのかがみ)
            相殿  玉祖命(たまおやのみこと)
                 明立天御影命(あけたつあめのみかげのみこと)
                 鈿女命(うづめのみこと)

〔御由緒〕 社伝によると、石凝姥命(いしこりどめのみこと)が天岩戸の前で日像鏡、日矛鏡、そして、「三種の神器」である八咫鏡を製作し、三体とも天孫降臨の際にもたらされた。 天道根命(あめのみちねのみこと)が紀伊国造に任ぜられ、日像鏡を日前神宮へ、日矛鏡は國懸神宮へ、それぞれ御霊代としてお祀りしたのが両宮の創祀という。 そしてその天道根命を初代とし、代々紀伊国造家(紀家)が当国を統治し、両宮を篤く尊崇してきた。
 両宮は別々の社格を有するが、左に日前神宮、右に國懸神宮が同じ境内に並立し鎮まっている。 『延喜式』にも名神大社として記載され、御祭神が三種の神器に次ぐ宝鏡であるため、伊勢の神宮同様朝廷より別格の扱いを受けていた。
 戦国時代、紀伊国へ侵攻した秀吉の軍勢により境内荒廃するも和歌山藩より黒印領四十石を寄せられ、紀州徳川藩祖の徳川頼宣により寛永四年(一六二七)に境内が整備された。 明治四年両宮ともに官幣大社に列格。 現在の社殿は大正十五年に再建され現在の姿となった。
-『全国一の宮めぐり』から-



             日前神宮                         國懸神宮












摂社・天道根神社(あめのみちねじんじゃ)
〔御祭神〕 天道根命(あめのみちねのみこと)
〔御由緒〕 天孫降臨の時、天道根命は二種の神鏡とともに従臣として仕え、神武天皇二年春二月、紀伊國を賜り初代國造職に任命されました。紀氏は天道根命の末裔にあたり、歴代に渉り國造職を受け継ぎ明治十年三月二十一日には官命を以て日前國懸両神宮の摂社として定められました。



摂社・中言神社(なかごとじんじゃ)
〔御祭神〕 名草姫命(なぐさひめのみこと)・名草彦命(なぐさひこのみこと)
〔御由緒〕 祭神である名草彦命は、天道根命を初代國造にして五代目にあたり、また夫婦神として名草姫命と御一緒に中言神社として奉祀されております。名草郡の地主の神として崇敬され、『紀伊続風土記』には名草郡だけでも中言社と呼ばれた神社が十二社もあった程で、同郡では最も多い神社であったと伝えられております。明治十年三月二十六日官命を以て日前國懸両神宮の摂社に定められました。



末社・松尾神社(まつおじんじゃ)
〔御祭神〕 大山咋神(おおやまくいのかみ)・中津島姫命(なかつしまひめのみこと)
〔御由緒〕 京都洛西の総氏神である松尾大社から分社され、当宮の末社となりました。特に醸造の祖神として特別な崇敬を受けており、毎年十一月には「松尾祭」が厳かに斎行されております。



末社・深草神社(ふかくさじんじゃ)
〔御祭神〕 野槌神(のづちのかみ)
〔御由緒〕 祭神の野槌神はイザナキ・イザナミ二柱の大神の御子にして、草や野に関するすべてを司り、守護する神であります。 古来より神の使いとしての「牛」と信仰を結び、野草を食むことからくさ(人体の腫物)を食むという「病気平癒」の高い御神徳があります。




末社・市戒神社(いちえびすじんじゃ)

〔御祭神〕 蛭子神(ひるこのかみ)





御神徳
日前宮は紀伊國一之宮にして天照陽乃大神を祀る  日前國懸大神はその御別名にましまして太陽の御徳を蒙り生とし生ける凡てのものに御陰を戴き生々發展をなし人々の縁を結びうけい(結婚)の徳をさずけ生活の基本を守り給ひ古来より深き信仰を持つ
-日前國懸神宮パンフレットから-



  

Posted by 閑人 at 00:07Comments(0)TrackBack(0)神社巡詣