2010年09月02日

武蔵国一宮 氷川神社(2)



武蔵国一宮 氷川神社 (ひかわじんじゃ)





武蔵国一宮 氷川神社 (ひかわじんじゃ)

〔鎮座地〕  埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407 (旧大宮市)

〔社格〕    旧官幣大社  式内社武蔵国足立郡氷川神社(名神大・月次・新甞)

〔御祭神〕  須佐之男命(すさのおのみこと)
        稲田姫命(いなだひめのみこと)
        大己貴命(おおなむちのみこと)

〔御由緒〕  氷川神社は今から凡そ二千有余年前、第五代孝昭天皇の御代三年四月未の日の御創立と伝えられます。当神社は、歴朝の御崇敬・武将の尊敬も篤く、景行天皇の御代日本武尊は東夷鎮圧の祈願をなされ、成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命が朝命により武蔵国造となって氷川神社を専ら奉崇し、善政を布かれてから益々神威輝き、格式高く聖武天皇の御代武蔵一宮と定められ、醍醐天皇の御代に制定された延喜式神名帳には名神大社として、月次新嘗案上の官幣に預り又臨時祭にも奉幣に預っています。武家時代になってからは鎌倉、足利、徳川の各将軍家等相継いで尊仰し、奉行に命じて社殿を造営し社領を寄進する等、祭祀も厳重に行われていました。 明治の御代に至っては明治元年、都を東京に遷され当社を武蔵国の鎮守・勅祭の社と御定めになり天皇御親ら祭儀を執り行われました。次いで明治四年には官幣大社に列せられました。 昭和九年昭和天皇御親拝、昭和三十八年今上陛下が皇太子時に御参拝になられ、昭和四十二年十月、明治天皇御親祭百年大祭が執り行われ社殿、その他の諸建物の修復工事が完成し、十月二十三日昭和天皇・皇后両陛下御揃いで親しく御参拝になられました。昭和六十二年七月には天皇・皇后両陛下(当時皇太子・同妃殿下)が御参拝になられました。
-境内案内板から-



カーナビまかせで車を走らせると社前に無事到着

鬱蒼とした杜が広がり、三之鳥居が眼前に

鳥居をくぐると境内

右側に神楽殿・額殿 その奥に天津神社・六社






摂社 天津神社(あまつじんじゃ)

〔御祭神〕 少彦名命(すくなひこなのみこと)





末社 六社(ろくしゃ)
(山祇神社)  大山祇命(おおやまづみのみこと)
(石上神社)  布都御魂命(ふつのみたまのみこと)
(愛宕神社)  迦具土命(かぐつちのみこと)
(雷神社)    大雷命(おおいかづちのみこと)
(住吉神社)  底筒男命(そこつつのおのみこと)
          中筒男命(なかつつのおのみこと)
          上筒男命(うわつつのおのみこと)
(神明神社)  天照大御神(あまてらすおおみかみ)




左側に社務所・みこ神楽殿が並び
その先に松尾神社

末社 松尾神社(まつおじんじゃ)
〔御祭神〕 大山咋命(おおやまくいのみこと)






松尾神社の前を西へ進むと南側に稲荷神社


末社 稲荷神社(いなりじんじゃ)

〔御祭神〕 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)




北側の神池の中に宗像神社

摂社 宗像神社(むなかたじんじゃ)

〔御祭神〕 多起理比売命(たぎりひめのみこと)
       市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)
       田寸津比売命(たぎつひめのみこと)






神池に架かる神橋を渡ると荘厳華麗な楼門が見えてくる






回廊の東門の外に門客人神社・御嶽神社

〔左〕摂社 門客人神社(もんきゃくじんじんじゃ)
〔御祭神〕 足摩乳命(あしなづちのみこと)
       手摩乳命(てなづちのみこと)

〔右〕末社 御嶽神社(みたけじんじゃ)
〔御祭神〕 大己貴命(おおなむちのみこと)
       少彦名命(すくなひこなのみこと)






回廊内に舞殿・拝殿・本殿が建ち並ぶ









本殿は拝殿と二重の玉垣によって護られ

そのお姿を直接拝見することは出来ない








拝殿越しに本殿の銅葺き屋根が望まれる

外削ぎの千木に5本の堅魚木を載せた流造のようだ


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この記事へのコメント
はじめまして!私は一之宮巡りを趣味としてものです。
どうぞ宜しくお願いします。
Posted by しゃけ at 2012年04月08日 15:24