2010年10月19日

第10番 切幡寺


四国八十八カ所 第10番札所 切幡寺





得度山 灌頂院 切幡寺 (きりはたじ)

〔所在地〕  徳島県阿波市市場町切幡129

〔宗派〕  高野山真言宗

〔本尊〕  千手観世音菩薩

〔開基〕  弘法大師

〔真言〕  おん ばさら たらま きりく

〔略縁起〕  弘仁6年(815)、この山麓を行脚中であった大師は、綻んだ衣を繕おうと近くの民家を訪ねた。 すると家の中で機を織っていた娘が、織りかけの布を惜しげもなく裁ち切って差し出した。 これに感動した大師は、布のお礼として娘の願いを聞き入れ、一晩で観音像を刻んで灌頂を授けた。 すると、たちまち娘の身から7色の光明が放たれ、千手観音の姿にかわったという。 大師はこれを嵯峨天皇に申し出、寺をこの地に建立したのが始まり。
-『四国八十八カ所』から-



              本堂                           大師堂














 〔左〕 はたきり観音
 機織の乙女が即身成仏した伝説の観音像
 右手にはさみを左手に布を持つ姿である

 〔右〕 山門(仁王門) 得度山の扁額が掛かる





国指定重要文化財  切幡寺大塔
 この大塔は元、徳川家康の勧めに依り、豊臣秀吉の増進菩提のため慶長十二年(1607)豊臣秀頼が大坂・住吉大社神宮寺に建立したものである。
 明治初頭、同寺が神仏判然令により廃寺となったため明治六年(1874)当山第四十五世住職天祐上人が買い受け、ここに解体移築したが同上人の時代には初重部のみ仕上がり、続いて智堪上人が二重部を仕上げ、完成に十年を要した。
 その特徴は五間四面にして、初重と二重との間が方形をなす大塔である。今日この形式の遺構は本邦唯一であり、国指定重要文化財たる所以である。
 総高二十四・一六米
 指定 昭和五十年六月二十三日
-境内案内板から-




          欲心を ただ一筋に 切幡寺

                       後の世までの 障りとぞなる




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