2010年10月26日

阿波国一宮 一宮神社


阿波国一宮  一宮神社





阿波国一宮  一宮神社 (いちのみやじんじゃ)

〔鎮座地〕  徳島県徳島市一の宮町西丁237

〔社格〕  旧県社  阿波國名方郡の式内社・天石門別八倉比賣神社(名神大・月次新嘗)

〔御祭神〕  大宜都比売命 (おおげつひめのみこと)
        天石門別八倉比売命 (あまのいわとわけやくらひめのみこと)

〔由緒沿革〕  延喜式内社天石門別八倉比売神に充てられる。延喜の制では大社に列す。後醍醐天皇の御代一宮城主小笠原長宗が大宮司に任じ、世々相嗣ぎ、後蜂須賀候入国するや厚く崇敬し、寛永七年松平忠鎮公社殿再建の事あり、明治六年郷社、昭和一七年県社に列す。
-『神社名鑑』から-


               境内                           拝殿











一宮神社略記
一  大宜都比売命 天石門別八倉比売命を奉祀する 衣食 農業 開運の神で 又縁結び安産の守護神と信仰する人が多い
一  延喜式内大社天石門別八倉比売神社に充てられる古社で 一宮大明神と奉称せられ 阿波国一宮 八倉比売命祀るから 明治維新神まで八月八日に祭典を行ひ神佛分離まで四国巡拝の霊場であった
一  小笠原氏は一宮城を構え 一宮大宮司に任じ 蜂須賀候も社殿を造営 御初穂 御神馬を奉献篤く崇敬した 氏子の尊崇は今に変らない
一  一宮町の地名 一宮城の称等は一宮大明神が千年の昔から此の地に御鎮座ましますに由来すると思う
一  例祭 十月十八日  春祭 四月二日  新嘗祭 十二月十八日
-『境内案内板』から-



 本殿



  重要文化財 建造物 一宮神社本殿 (附棟札九枚)     平成5年4月20日 国指定
 この本殿は、身舎(もや)の正面柱間が三間で、屋根が後方に短く前方に長く曲線形に流れる「三間社流造」である。 棟前方に千鳥破風を飾り、さらに先端の中央一間分に軒唐破風を設け、木階(きざはし)前方の庇柱まで浜床を張り出す。また各所に上品な彫刻が埋められ、全体に彩色を施しながらも過度の装飾には陥らずに、華やかな本殿に仕上げている。向拝の木鼻や身舎妻飾りの大瓶束(たいへいづか)下部には蓮華が、繋海老虹梁(つなぎえびこうりょう)や向拝頭貫(かしらぬき)虹梁の底面には錫杖が彫られるなど、神仏混淆の様相を表している。
 棟札と正面千鳥破風板の墨書から、寛永7年(1630)の建築であることが判明している。同じ三間社流造で重要文化財である鳴門市大麻町の宇志比古神社本殿〔桃山時代・慶長4年(1599)〕とともに、徳島県の近世初期を代表する装飾的な大型本殿建築である。
  徳島県教育委員会  徳島市教育委員会
-『境内案内板』から-



本殿脇に末社七祠が確認された

若宮神社  宗像神社
大己貴神社・事代主神社
天神社  猿田彦神社  若葉神社
眾灵神様(シュウレイジンサマ)




境内の北側は県道を挟んで四国霊場十三番札所・大日寺があり、神仏習合の面影が偲ばれる


            大日寺山門                       大日寺本堂











四国八十八カ所 第13番札所 大栗山 花蔵院 大日寺
〔略縁起〕 弘仁6年(815)、大師が現在の寺領に近い「大師の森」で修行を行っていると、空中に大日如来があらわれ、「この地は霊地ゆえ、一寺を建立せよ」と告げたという。 大師はさっそく大日如来を刻んで本尊とし、堂宇を建てて大日寺を寺号と決めた。 のちに、一宮神社の別当寺(神社境内に建てられ、その経営管理を行う寺)となり、明治の神仏分離令で一宮神社の本地仏、十一面観世音菩薩が移され、本尊とされた。
-『四国八十八カ所』から-





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