2010年10月29日

第15番 阿波国分寺


四国八十八カ所 第15番札所 阿波国分寺





薬王山 金色院 阿波国分寺 (あわこくぶんじ)

〔所在地〕 徳島県徳島市国府町矢野718-1

〔宗派〕 曹洞宗

〔本尊〕 薬師如来

〔開基〕 行基菩薩

〔真言〕 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

〔略縁起〕 天平13年(741)、聖武天皇の勅命により全国68ケ所に創建されたのが国分寺、国分尼寺。 四国霊場にも四つの国分寺があり、ここ徳島の国分寺が札所順では最初だ(高知、愛媛、香川も一カ所ずつ国分寺が札所となっている)。 寺を開いたのは行基菩薩で、本尊も行基作とされる。 弘法大師は弘仁の頃(810~824)にここを訪れて四国霊場に定め、宗派を真言宗とした。 当時は広大な寺領(寺の領地)を持ち、金堂や七重塔も建つ壮大な伽藍を誇っていた。 しかし長宗我部元親による天正の兵火からは逃れられず焼失してしまった。 その後、江戸中期に阿波藩郡奉行・速水角五郎によって再建され、その際に宗派が曹洞宗に改められた(曹洞宗の札所は四国霊場でここだけ)。 重層の入母屋造りとなる堂々とした本堂や、山門脇にある七重塔の礎石に、かつての繁栄ぶりが偲ばれる。
-『ドライブお遍路』から-



              山門                            大師堂












   徳島県指定文化財 史跡 阿波国分寺跡          昭和28年7月21日指定
 国分寺(金光明四天王護国之寺)は、741年(天平13)の聖武天皇の勅旨により、尼寺とともに全国に建立された官立寺院である。  阿波国分寺跡は、昭和53年度以降の発掘調査で、金堂から延びると想定される回廊跡や築地跡、寺域を画する溝などが確認されたことから、かつては西に塔を配置し、金堂・講堂などが一直線に並ぶ東大寺式伽藍配置を有し、現国分寺を中心とした方2町(約218m四方)に及ぶ範囲に存在していたと考えられている。  現在境内の隅に残る塔心礎は、寺の南西側の「塔ノ本」の字名が残る水田の中から出土したと伝えられるものであり、また周辺地域には東門・西門・北門・坊などの字名が現在も残っている。  出土遺物の一部は、徳島市立考古資料館で収蔵・展示公開している。
 平成14年11月15日設置  徳島県教育委員会 徳島市教育委員会
-『境内案内板』から-



              本堂                         七重塔心礎石














         薄く濃く わけわけ色を 染めぬれば
                             流転生死の 秋の紅葉ば




この記事へのトラックバックURL

http://manyuuki.mediacat-blog.jp/t59276